2007年1ページレビュー

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例の掲示板「1ページレビュー」2007年記録

(一部データ紛失)

[121] オトアン 2007/12/10(月) 11:17 [削除]
[公演名] だって、この砂丘が保持できる水の総量を考えてみてよ
[劇団名] 劇団カタコンベ
 A・B両バージョンを観て改めて。えっと、こうしてレビューを
書くためにもう一度芝居について思い返すのは自分にとって愉楽。
難解だったり自分ならこう行くよなという思いもあり、創り手の思
いを全てわかるなんてこと絶対ない。でもいろいろしゃぶって噛ん
で味わうことができる芝居っていい。観てすぐに全部わかっちゃう
芝居って(もしあったとして)面白いかなあ。すっと読めちゃう小説、
すっと耳なじみのいい音楽、そういうのはすぐ飽きてしまう。まあ
人それぞれだけど。
 一景の、所在ない高校生たちの立ち居振舞いが芝居のトーンを決
している。ここで入れない人は入れないのだと思う。台本を読む限
り、例えば他の役者が、もっとテンポアップしてもっと感情を出し
て演じることもできる。でも少なくとも今井嬢・高田君がこういう
姿で舞台に在ることは自然で必然だ。すべての台詞が朗々とクリア
に発声されなくてもよいという考え方には全面的に賛同する。欲を
言えば、届けてほしい言葉は埋もれないように願いたい。
 それほど成績がいいわけでもなく、そこそこの高校でそこそこ過
ごし、部活もなく、つるむ友人もなく、放課後公園で一人の時を過
ごす、取り立てて美人でもない(設定のことよ、ごめんね)由美が抱
えている(両親の不和、離婚という)家庭の問題。すべての女子高生
がこうだというわけではないが、ごく自然にあるなあと頷ける姿。
両親は好きだけれど、両親は自分の感情を家庭に持ち込んでしまう
ほど子どもだという指摘は、実際の親世代にとって鋭くきつい。学
校の成績とは関係ない賢さを由美は持っている。どこにでもいるよ
うな女子高生だが、やがて由美を好きになるだろう誰かの気持ちが
少しわかる気がする。
 まっすぐな(直線しかない)厳格な家庭で育ち、名門高校に進学し
たもののどこか学校に馴染めず不登校になり、家庭では腫れ物を触
るように遠巻きにされている浩太郎もまたリアル。「いじめ撲滅キャ
ンペーン」では救えないこういう高校生がどれだけいることか。愚
かなり教育委員会&文科省。彼もまた両親のことが好きだという。
こういう十代の心に寄り添う視点は戸中井氏の人間的成熟を如実に
示している。高田君の顔は実に独特で味がある。
 愛娘カナ(花和)を事故で失い、恐らく14−5=9年ほど経過して
なおカナの姿を探し続ける圭子。しかし彼女は「ふわふわ」しなが
らも自分なりにこの不条理に思える世界と折り合いをつけている。
世界は劇場であり自分は女優なのだという解釈で。自分を含めいろ
いろな人を責めた時期があったかも知れないが、今彼女はそういう
ところに立たない。だから、一見不安定で(自死の)危険がありそう
だけれど強い。
 この人ならばと思い込んだ相手との結婚生活が破綻に瀕している
直子。世間のしがらみの中で、どこまで我慢するか悩みつつ、兄・
智之との会話の中でさまざまなことを思う。圭子に比べむしろ明る
くしっかりしているように(ゆえに死ぬことはなさそうに)見えなが
ら、無理はするなという兄の危惧にも関わらず、自死を選ぶ。そこ
にあった苦悩の程度は、客に説明されることはない。ただ智之の回
想イメージの中で、幼時の両親との別離、結婚生活の不毛が垣間見
える。
 これらの人々を結ぶ中心に居る智之。しかし強力な求心力によっ
て人を結ぶのではなく、ただそこに点として在る。それぞれの問題
や悩みに寄り添いながら、深い思索を資質としながらも彼は決して
人に意見や批判を押しつけたりしない。口癖である、「まあ、テキト
ーに、アレしたまえ」という一見無責任な、しかし努力を強制しな
い言葉は、賢哲のそれであり、解決ではないが小さな救いを与える。
これは、自らの内にカナの死とそれに伴う自責の悲しみを持つがゆ
えの境地だろう。直子も失い、四景でついに心の堰が切れる姿は剥
き出しのヒリヒリとした痛みを訴えてくる。卓越した超人ではなく、
娘が亡くなるまで煙草を止められず、現在無職であり、誰を救うこ
ともできない弱い人間であるけれど、だからこそ他の人々が親しく、
軽口を叩きながら接することのできるオアシス的な存在なのだ。戸
中井氏の智之とジャンボ氏の智之はそれぞれ違うけれど、いずれも
弱さを優しさにすりかえることをせず、逆に傲慢さを強さと勘違い
することのない、ひとりの男を創出し得ている。
最後のそこはかとない明るさがとても好きだ。


[118] オトアン 2007/12/07(金) 17:17 [削除]
[公演名] May be blue [劇団名] 劇団第二黎明期
 私的感興が他の人に共有されるとは限らないことを前提として、
あえて述べるならば、同じ「SF的」な物語でも、カタコンベの「だ
って、(略)」を観て感じた思いは伊坂幸太郎「終末のフール」を読
んだときのそれに似ており、第二黎明期の「May be blue」を観て
感じたのは星新一の作品群を読んだときのそれに似ている。前者は
絶望的な状況の中で何かふっと超えてしまった後の不思議な静けさ
であり、後者は少しレトロなある意味古典的な未来像の中で、切な
さを伴うhumorに満ちた暖かさである。
 邪道ながら黎明期を見て台本を読むといういつもながらのアフタ
ーの楽しみを喫していると、改めて発見がある。舞台に上げられた
ものとの微妙な差異。そして上げられたものは(ほぼいつも)台本以
上に膨らんでいる。豊饒である。軽妙な台詞の掛け合いと散りばめ
られたコミカルさは流石なのだけれど、やり方次第で台無しにもな
る。人数や時間、装置、わかりやすい展開など高校演劇には好適の
作品(ちょっと宣伝)だけれど、多分ベタな高校演劇にしてしまうと
全く別物になってしまうだろう。
ネタバレ。未見の方読まないでね。
レトロフューチャー?なテーブルとスツール、奥に透光性のスクリ
ーン、下手前にテグス様の糸で作った円錐状の「ホログラム装置」。
男の声で回想から始まる、予め終わっている物語は、キャラメルボ
ックスにもしばし見られる一つの定型だ。「メリーポピンズ」の示唆
も、「広くて素敵な(略)」と重なる。派遣されてきたヒューマノイド
型ロボット「アイ」(山崎真波)は、コントロールされた顔面筋とメリ
ハリのある所作で、精巧なヒューマノイドを演じて説得力がある。
これを下手にロボットぽくするとウソになる。レトロ柄のワンピは
似合っていてそれっぽかったが、五月蝿いことを言えば台本指定の
「ネイビーブルー」でないことは「藍色のアイ」と命名されること
やタイトルとの繋がりを弱めてしまうか。
ホログラムでペットなどの像をデザインしそこそこ商売になってい
る(トヨタ創業者を連想するなあ)サキチ(佐藤正志)。古着らしき上
着に若草色タートルがこれまたレトロフューチャーテイスト。ちょ
うど我々がPCを扱う時のようにマニュアルに従い紋切り型のガイ
ダンスや警告を発し、登録された事柄には(馬鹿)忠実に、そして人
情の機微にはあくまでドライに振舞うヒューマノイド・アイとのや
り取りは、まあありがちな設定ではあるけれど、それでも楽しめる。
学習機能によって次第にサキチの生活パターンに合致し、少しトン
チンカン(死語)なやり取りすら、いやそれだからこそ、アイの存在
がサキチにとって大切ないとおしいものになって行く。アイの表情
に心の交流を感じていたサキチが、それは使用者の感情に対する適
正な反応としてプログラムされたものだという答えに傷つく。しか
しアイが使用者であるサキチの感性に徐々にシンクロするようにな
っていることもまた事実であり、その言葉にサキチも、観ている私
たちもほっとするのだ。再び五月蝿いことだが、掃除のダンスシー
ンが繋ぎとなって「かなりの時間が経過」したことになるのだが、
もう少し時間の表現がほしい。数日後程度に感じてしまう。
しかし、些細ながらミスが重なることで、アイは自ら機能の不具合
に気づき、解体・破棄されるために再生工場へ出て行こうとする。
何とか止めようとするサキチだが、アイの論理を駁することができ
ない。せめて送りたい、その姿をホログラムとして残したいという
サキチの申し出に、感情のないはずのアイが、壊されていく自分の
姿を見られたくないと語り、徐々に忘れられていく映像としてとど
めてほしくないと願い、擬似的にせよ学んだ「切なさ」に動けなく
なる。読める展開ではあるのだが。それでも。目頭が熱くなる。山
崎のポーカーフェイス、佐藤の飄々として感情を出しつつもポライ
トさを保ち続ける言動(この性的ニュアンスの脱臭性も星新一的で
はある)、抑えられているからこそこちらに訴えるものがある。好意
を持ちながらどうしようもない別れをしなければならない、そんな
経験を持つ者、あるいは経験していなくてもそれをリアルに感じ取
れる者にとって、胸に迫るストーリー。個人的には、ラストの男の
言葉はない方が好き。冒頭と合わせて、物語が閉じてしまうから。
勿論それを意図してのことだろうが、何か可能性や希望のようなも
のを残したいという自分の中でのワガママから言ってみた。失礼。

[115] オトアン 2007/12/05(水) 12:12 [削除]
[公演名] だって、この砂丘が保持できる水の総量を考えてみてよ
[劇団名] 劇団カタコンベ
 クリエイターである演劇人たちは、大向こうのニーズに応え自
分が得意なことを営々と演り続けるのではなく(そういう商業演劇
人もいるしそれも有りなのかも知れないが)、自分が観たいと思うよ
うな芝居、そして存在意義があると信じている芝居を創るという困
難を自らに課している。[時にその意図が先走り力量が追いついてい
ないケースもままあるのだけれど、勝負に行ったスパイクサーブが
外れたっていいさ。評を書いていない劇団も含め、リスペクトして
いる。]
 カタコンベ・戸中井三太もまた挑み続ける創り手であり、「前の方
がよかった」というような言説(があったとしても)に揺り動かされ
ることなく前に行く。以前の作品に比べ、台詞は削ぎ落とされ、吟
醸酒用に精米率を上げた米の髄のような輝きを帯びているが、台本
を読んでみると、かつてのそれと感触が共通している。軽妙な中に
込められた饒舌とすらいえる情報と思念の量は些(いささ)かも減じ
ていない。いわゆる「静かな演劇」の量的内容的に乏しい会話とは異
なる。変わって来ているのは台詞回しと間で、無言の所作の間だけ
でなく、台詞をやり取りする間が抑制されている。これは、こうす
ればリアルに見えるという方法論ではなく、実際に役者の中からそ
の言葉が出てくるために必要な間なのだと思う。結果として、台本
のページ数とは異なる時間が流れる。
 ネタバレ含む。
 人気のない海辺の公園に、それぞれの事情を抱えて姿を見せる
人々と、幻かもしれない蛍の噂。一景は、斉藤由美(今井美沙子)と
長谷川浩太郎(高田信)、リアル現役十代が高校生の役をやる。簡単
そうでいて、あのように舞台上に居ることがどれだけすごいことか、
やってみればわかる。「劇的」でない所作と発声による「演技」。色が
ついていないからこその成果。未熟さはあるけれどある意味現在の
戸中井氏が思い描く理想的なものだと思うし、それが芝居のテイス
トを決めている。「高校生不可」だったカタコンベが変わったことの
一つの答えだろう。浩太郎と出会う、(亡き)娘を探す片山圭子(小山
由美子)。ちょっと妙なところのあるふわふわした女性のふと見せる
怖さと切なさ。
 二景、圭子の夫・片山智之(戸中井バージョンでした)とその妹で
離婚を思案中の直子(ほしのゆきえ)。戸中井氏が舞台にいると安心
感、安定感がある。結構説明的な場で、一景で伏線だった、離婚率
60%、自殺率50%という、近未来的あるいはパラレル世界的な設定
が明らかとなる。表題は思索的で俯瞰的な智之の口調なのだ。
 三景、親の離婚という問題を抱えた由美、不登校で厳格な親から
気を使われている浩太郎、そこに彼らの塾講師だった智之が出くわ
す。この、高校生の問題に共感しながら説教めいたことをたれない
智之というキャラクターはとても魅力的。この視点は20年の間に
戸中井氏自身が得たものだ。智之と、離婚を思い止まった直子の会
話、最後に智之が「約束してよ」と言いかけたのは、もう一つの、
自殺への懸念だったのか。
 三〜四景の間、智之・圭子・浩太郎・由美の各ソロシーンが重な
るが、この時点で智之の携帯が繋がらない直子が死んでいることは、
実は自分は後になってようやく理解した。ちょっと難解か。そして
智之と圭子が公園にいる。摘んだ野花を、「観客」に配りながら娘・
花和(カナ)のことを語る圭子に、感情が溢れてくる智之。胸に迫る。
幻の蛍に、死んだ人の魂が重なる。
 五景、それぞれの問題に一応のけりがついた由美と浩太郎。ふと、
世界が終わってしまったのではないかと感じる瞬間。これは自分に
もよくわかる。そして(登場しない)電話の向こうの智之の、変わら
ないさりげなさにほっとする。通奏低音のような汽笛の音が海辺の
公園という場を彩るのだが、この見えない海の近接感、どこか新潟
をイメージさせるが特定されない街、これもまたカタコンベの作品
によく見られるものだが、この作品の街はどこか哀しくも暖かい。
蛇足。初日終演後、感心にも観劇に来た男子高校生たちが憤慨して
いた。客の中に、事前アナウンスメントに関わらず携帯電源を切ら
ず、何度かバイブ振動音が響き、あまつさえ(死語)ジャケットに隠
して何度もメールをチェック・返信、ボトルのガムをカチャカチャ
取り出すなど最低限のマナーができていない人あり。あきれてしま
った。男子諸君、正しいよ。ダメな大人を見習うな。

[114] すますた 2007/12/05(水) 08:18 [削除]
[公演名] 芸能時評No186「演劇ぷろじえくと坂下さん、劇団唐組、
新潟大学演劇研究部」
新潟大学齋藤陽一研究室
芸能時評No186「演劇ぷろじえくと坂下さん、劇団唐組、新潟大学
演劇研究部」
アップされているのをようやく発見しますた!

http://www.human.niigata-u.ac.jp/%7Ey.saito/writing/200710.ht
ml
[113] オトアン 2007/12/03(月) 15:17 [削除]
[公演名] カセット式レインボウ [劇団名] 劇団ハンニャーズ
 ベスト盤CDを手にして、「自分ならあの曲を絶対入れるのに」
と思うことはよくあることで、要はそれぞれのマイベストがあると
いうことだろう。もともとオムニバス的なコント公演、今回はその
またコレクテッドだから、統一感はあまりないけれど、あるとすれ
ばキャストが限定されることでのグルーヴ感だろうか。タイトル映
像で、さまざまな「カセット」があって面白かったし、アナログ感
がいいなあと思った。現実的なネタが多く、人外?の存在が出てく
る01、07は異質だけれど特に違和感はない。
 個々のネタに関しては、あまり細かいことは書かないけれど、ち
ょうど最前列で小学生のおぜうさんが実に気持ちよく笑っていて、
あーすげーと思った。あんな風に笑えたのっていつ頃だろう(遠い
目)。今は、笑っている自分をどこかで見ている自分、笑っている自
分を見ている誰かの目を想定している自分がいて、そういうものを
吹っ飛ばして笑うことが稀になった。で、ちょっとヒクヒクしなが
ら抑え笑いをしたりする。薄汚れたワタシ。
 コントはアイディア勝負みたいなところがあるから、オチを知っ
ていてそれでも笑えるというのはよっぽどのことで、そういう意味
で結構ハードな挑戦。メンバーの入れ替えがあって(芝居の稽古でよ
く気分転換に役を取り替えたりする、よね?)、キャストは改めて新
鮮な気持ちでやっているのだと思う。でも浮き上がってくるのはネ
タ、台本の構造強度。役者が替わってもイケるホンかどうかが試さ
れる。オリジナルとのギャップは、ほとんど感じられなかった。逆
にいえば、それ以上のものが生まれたわけでもない。練られたウェ
ルメイドさを感じた。ナイロン100℃はほとんどアドリブを排除し
ている。ハンニャーズは、一部即興的なものを取り入れている(例え
ばオープニングでのお題など)が、基本はやはり台本で指定されてお
り、アドリブに見えるものも多くは似非・擬似ハプニング(例えばオ
ープニングでの「渡辺用」)だと思う。ネタの基本構造が保たれてい
るから、後は推進力となるのが役者の瞬発力であり、各自そのこと
を意識してか高いテンションで臨んでいる。その緊張感は舞台の質
を上げてはいるが、CYMのユルイ面白さとは一線を画すもので、で
もハンニャーズにおいても脱力系の笑いはあっていいと思う。
ほぼ均等に出番のある男性キャスト、でもエキセントリックなキャ
ラが多い中嶋氏の印象が非常に強く、平石・渡辺氏はコント常連と
しての地盤的な位置を占めている。当てられたキャラクタが合って
いて違和感がないのだが、逆に全く想定外の組み合わせというのも
面白いかも知れない。そして要所を締めている小出嬢。「勇気の印」
のちょっとませた女の子がハマっているし、各ネタのおきゃん(死
語)な感じ、意味ありげな笑みがよろしい。唯一無二の相貌だなあと
思う。思う、が多いなあ。感想文だからね。


[108] くまの 2007/11/26(月) 17:01 [削除]
[公演名] 第109回定期公演「TABOO」 [劇団名] 新潟大学演劇
研究部
まず、真っ先に言いたいのがやはり滑舌。野田秀樹の台本ならば、
面白い言葉遊びが沢山あるはず。だから滑舌をしっかり鍛えないと、
その言葉遊びが流れてしまう。大変勿体無い。
そして、言葉遊びと共に、ただでさえわかりにくいと思えるストー
リーが、更にわかりにくくなってしまう気がする。やはり、ほぼ毎
回の公演で「聞き取りづらい」という評価を貰ってしまうのは問題
だと思う。
言葉が聞き取れるということは最低条件だと思うので、是非今後改
善してもらいたい。そうすれば、もっともっといい舞台になるだろ
うなあ、と期待している。

・・・その、言葉が流れてしまうという点でもう一つ。
テンション・勢いが大切だということはよくわかる。だが、それを
大事にしようとするあまり、終始「怒鳴っていた」というイメージ
ができてしまった。
ややメリハリに欠けていたように感じる。今回初めての役者だ、と
いう方が多かったせいもあるのだろう。
もっと土台作りをしっかりしたほうが、良い舞台になったと思う。

だが、今回の舞台装置はとても好印象だった。左右にパネルがなく、
スタジオBの広さを最大限生かせていたと思う。更に、舞台を広く
大きく使っており、この使い方はうまいなと感じた。
あと、音響のセンスがとてもよかった。特にラストシーンに近い辺
りの曲が最高。
衣裳も工夫されており、特に一休の衣裳は目を引いた。布・仮面の
使い方はさすが。

全体的に見ると、なかなかセンスのある舞台だったと思う。一人が
大勢の役を演じることに違和感もなく、そこはとてもよかった。し
かし、やはり作りこみに欠けるだろう。
役者も皆、「平等な存在感」という感じがして、実に惜しい。役者の
入れ替わりの激しい大学の部活だということは分かっている。
しかし、お金を払って観に行っている客からすれば、そんなことは
関係ないのである。
ただ、いいものが観たいだけなのだ。

・・・と、少し辛口な評価になってしまったけれども、個人的にかなり
好きな舞台だったので、色々なところが惜しく思えたのだ。今後に
期待を持てる舞台だったと思う。
今回のTABOOでのチャレンジを生かして、今後も是非頑張って欲
しい。

[107] さ〜て 2007/11/25(日) 00:00 [削除]
[公演名] カセット式レインボウ [劇団名] 劇団ハンニャーズ
余計なことまで書いたら、1行レビューに入りきらなかったので
コチラに。

面白かったです。
一度見たネタでオチを知っていても笑えました。

ただベストコント集という事なんですが
ダレ目線のベストだったのだろうか?
劇団関係者の演じたい、こういう構成なら一見さんにでもオススメ
できそうという感じでのチョイスに感じられました。
(衝劇祭に参加ということを加味してのチョイスだったのかも)

私の笑いのツボが一般ウケするのとは少しズレていたのかもしれま
せんが、
面白いネタではありましたが、大爆笑を集めたものでは無かったの
ではないかと・・・。
劇団さんのWebで過去の作品の一覧と簡単なアラスジを掲載して
人気投票のようにベストを選出したら全く違ったベスト集だったか
もしれませんね。

ブリッジのセットチェンジや曲、映像などはいつもながらに良かっ
たです。
お天気が悪かったですが、パンフ類が袋に入れて戴いていたので散
らからないand雨でも濡れないので
大変嬉しい心遣いだと思いました。

[105] すて 2007/11/24(土) 13:36 [削除]
[公演名] カセット式レインボウ [劇団名] 劇団ハンニャーズ
本当に面白かったです。
私が見に行ったのは木曜日で、客席は2時間沸きっぱなしでした。
友人は昨日見に行って、割と静かだったけど後ろの方の席に座った
のでみんな口を押さえて必死で笑いを堪えているのが見えて、自分
も笑いを我慢するのが辛いので誰か率先して声出してくれ〜と思っ
ていたそうです。客層もあるのでしょうね。
個人的には完璧に近いと思っているので、自信を持って頑張って欲
しいです。

[104] れんれん 2007/11/23(金) 23:52 [削除]
[公演名] カセット式レインボウ [劇団名] ハンニャーズ
たまには辛口批評など。

祝日の夜に観たハンニャーズだったが…およそ2時間の長尺がいた
たまれなくなるほど、重苦しい雰囲気の客席だった。

笑いがなかったわけではない。
しかし、その出所をつい探ってしまうほど…各人独りよがりなタイ
ミングで繰り返されるそれは、散発10安打無得点の印象であった。

原因のひとつに、男優陣の年齢観を挙げておく。
若さを武器にして成立してきた(赦されてきた)ものが、もはや通
用しなくなっている。
これはなかなか難しい問題だ。

例えば…役者を変えるか演出を変えるかして、作・演出のやりたい
事と劇団員の年齢、どちらかにはっきり波長を合わた作品を目指せ
ば、アンバランスな現状の閉塞感からは抜け出せるだろう。

しかし、今後のハンニャーズに期待したいのは、役者個人のスキル
を上げることだ。
有り体に言えば、ハンニャーズの男優は見た目の年齢から期待する
よりも演技が若過ぎる…つまり、下手なのだ。
若さを失った分、手にしたものがそれぞれにある。
もはや老弱にすら見える中嶋氏、ぽっちゃりしちゃた平石氏、不器
用さがオヤジ臭を放ち始めた渡辺氏…その現状を舞台にきっちり反
映出来る演技力があれば、あえてユルクの部分をちらほら試し始め
ている演出の指向ともマッチしてくるはずなのだが。

逆に、女優陣…と言っても今回は小出嬢一人だが、その漫画的な存
在感がコント集というジャンルに実に良くマッチしていた。
そもそも中嶋氏の演出はいつも女優陣に苛酷だった。ありえないキ
ャラにありえないリアクションを求め続けてきたように思われる。
その結果の現在、女優陣は軽やかに年齢観を超越して、未だに赦さ
れるポジションをキープして居るのが興味深いし、凄い事だと思う。

[83] オトアン 2007/10/22(月) 14:14 [削除]
[公演名] 眠っちゃいけない子守歌 [劇団名] 演劇ぷろじぇくと
坂下さん公演act.3
別役でR(いかん!遺憾!)。不条理演劇と括られるけれど、自分
(観客)が与り知らぬところで、別の条理・論理が存在するのではな
いか、世界は自分が信じてきた世界ではなく、少なくとも自分の論
理では動いていないのではないか、もっと言えば自分はこの世界か
らハブにされているのではないか、という、足元が揺るぐような感
覚が別役作品のひとつの特徴であり面白さでもある。納得するので
はないが丸め込まれてしまうような、その暴力的ですらある世界コ
ントロール。
 ジャンボ氏が別役づいているのか、間をおかずの別役トライ。ゆ
でたまごの会とはまた違うアプローチで楽しませてもらった。筆者
も同世代であった20代、新大での活動から時を重ね、「演劇なんて
のめり込んだら人生棒に振る」という従来の世評を地で行く人たち
の中で、紆余曲折しつつサバイバール、気がつけば結構ちゃんと(失
礼!)社会生活を営んでいる小林へろ、谷藤幹枝、そしてジャンボ
佐々木(やっぱり「ぎょうざ」でいいんですよね?)。人事ながら嬉し
い限り。そして重ねてきた年輪が決して悪いものではなく、熟して
いくことの素晴らしさを感じさせてくれる。
 ではネタバレ。
 派遣されてきたボランティアらしい清楚で堅い感じの女(谷藤)。
5階の13号室に応答のないまま入っていくと、突然タンスの中か
ら奇矯な言動の男(小林)が出てくる。話し相手を求めて依頼したと
いう男と、戸惑いながら噛み合わない話をする、その会話の中から
浮かび上がってくる女のプロフィール(同じように噛み合わないか
つての夫との別れ)。そして、「とし子」という名を口にしつつ、自
分とどういう関係だったか思い出せない、自分自身についても思い
出せない男のエキセントリックな言動。あの特殊な髪型に、やり過
ぎと思うくらいの奇天烈で病的な表情を浮かべる小林へろ(舌が
長!)、やがてずっと不眠であることがわかるとそれなりに説得力が
ある。突然ボリュームが大きくなるキレた話し振りは、実際にいた
ら怖いと思わせる。一方、ブラウスにロングスカートのオーセンテ
ィックな服装にダンゴ髪、眼鏡で背筋のピンと通った理知的地味的
女性の谷藤は人生の諸経験を滲ませながらもやはり凛として美しい。
男の言動に心乱され、次第に激昂して朱に染まっていく面立ち。こ
のぶつかり合いが肝(キモ)だ。ナチュラリティではないリアリティ。
 紙粘土?のミニチュアの家並みに、突然吹き荒ぶ雪嵐。この装置
は流石。雪の降り積もる街を、母親とともに去っていく遠い記憶の
光景。「眠ってはいけない」という言葉を心に刻み、母を亡くし一人
でずっと「覚めて」きた男が、倒れて眠りにつくラスト。ほんの45
分だが、濃厚な時間であり、我々が連れて行かれる風景は遥か遠く、
そしてかつどこか懐かしい。


[81] オトアン 2007/10/18(木) 14:28 [削除]
[公演名] KKP#5 TAKEOFF ライト3兄弟 [劇団
名] KKP(小林賢太郎プロデュース)
 新聞先行予約申込みが2週間前まで何の連絡もなく席も不明で
一緒に行く予定の相手を失ったという制作側への恨みを抑えつつ、
県外から公演を追って駆けつけたと思われる人々の会話を聞きなが
ら物販の列をよけて会場へ。告知もあまりなかったせいかいつもの
演劇客層と大分違う。ラーメンズ長岡初上陸以来、ゴールデンボー
ルズライブ、小林賢太郎ソロライブ、そして今回KKPとしての公
演と地方都市としては破格の?優遇かな。
 約90分、演劇のカタチでの公演。コントでの、あまり感情移入
をさせないキャラクター作りがベースにあるけれど、やはりストー
リーを紡ぐ上で各人物のプロフィールが描かれていくので、コント
とは勝手が違う。でも各所にアドリブやサービス的パフォーマンス
があって、普通のストレートプレイとも違う。この曖昧な、あるい
は微妙な匙加減が、KKPの持ち味であり、弱さでもあるだろう。
客の大半はそんなの関係ねえとばかりに、(行ったことないが)アイ
ドルのコンサートのような反応のよさ。さてひねた私はどう見たか。
ネタバレ。
 建築現場の足場のようなセットに平台。サスで抜いての説明的モ
ノローグ。演劇的には特に新鮮味のない始まり。自転車で「自分探
しの旅」(もろハチクロのパロディね)をしている青年あびる君(オレ
ンジ)は、とあるビルの屋上で飛行機オタクのサラリーマン篠田(小
林)、そして大工の織部(久ケ沢徹)と出会う。あびるは織部とともに
大学の解体現場で、発表されたことのないライト兄弟設計と思われ
るフライヤー(飛行機)図面を発見し、篠田の航空工学知識、織部の
木工技術、あびるの金属加工技術を合わせて幻のライトフライヤー
を作ろうとする。当初偽物だと相手にしなかった篠田も、空白の
1906年を埋める新発見かもという意見に傾き、織部の倉庫で秘密の
製作が始まる。自分が何をしたらいいか見つけられないあびる、妻
子に出て行かれた織部、飛行機が好きだが今まで作ったことのなか
った篠田は、ライト3兄弟として約1カ月製作に没頭する。この間、
小林の「ライト兄弟物語」語り、久ケ沢の曲尺(矢印やメロンソーダ)
小ネタや筋肉自慢、オレンジと小林のフリスビー、久ケ沢と小林の
「古今東西・飛ぶもの」、難易度がエスカレートしやがて3声コーラ
スになっていく合言葉などなど、各種ネタを盛り込んで楽しませる。
オレンジはお笑い畑らしいわかりやすくソツのないキャラ作り、背
丈をネタにいじられながらしっかり話を回す。久ケ沢の突き抜け方
がいい塩梅で、舞台にいることを楽しんでいる感じ。少し髪の伸び
た小林は、中央から一歩引いたカタチで、少しひねた彼らしさを上
手く使っている。
模型を作る予定が原寸大、すなわち現物を作ることになり、材料と
してあびるの愛(自転)車、織部の愛(原付自転)車をバラして行く。
ここでビートに合わせ似非(擬似)ストンプでテンポ良く製作過程を
見せていくやり方は流石。そして設計図を吊った幕の裏で組み立て
られたフライヤーの雄姿が現れる。素晴らしい。完成した飛行機の
命名、操縦者に関する言い合いの裏で、篠田は金のためマニアのコ
レクターに飛行機売却を目論む。飛行前夜、雨の中トラックで密か
に運び出そうとする篠田に、失望の言葉を投げつけるあびる。そこ
に三度笠姿で登場(火消しの出初式テクでパイプ降り)する織部。飛
びたいという気持ちを確認し合った3人は、翌朝海辺に。あびるは
織部の息子(頼人と書いて…。)を呼んでおり、心温まる雰囲気の中
で、助走、そして溢れる光の中ついに飛び立つ「第五織部丸」こと
「はえ」ことライトフライヤー!興奮の拍手の中で終幕。そのまま
数度に渡るカーテンコール、スタンディングでのクラッピング、サ
イン入りフリスビー投入、写真撮影。この愉しさ。笑わせ、ちょっ
とホロリとさせ、ラス前にはらはらさせ、そして希望のあるエンデ
ィング。予定調和的ではあるが、カテコも含めトータルでのエンタ
テイメントと言える。ずんと重い芝居もあっていいが、ひとときの
夢に満足して気持ちよく帰る、これも芝居を観る楽しさのひとつの
在り方として正しい。ん、この感じどこかで…あ、キャラメルボッ
クスっぽーい。いやキャラメルもありですよ。これはあそこまでマ
ジモードでやってないからより気楽に観れるけどね。


[77] オトアン 2007/10/09(火) 16:16 [削除]
[公演名] 生まれ晒し [劇団名] もしもしガシャーン
 最も印象に残ったのは、たかはしみちこの美しさだ。特別美人
というわけではない(失礼)彼女がほぼすっぴんで、約2時間叫びな
がら汗ほかいろんな液体や半固体にまみれ、足の裏を嗅がれたり見
せたくないものも含め自分の全てを曝け出すかのような舞台上の姿
は、光り輝いている。言うまでもなくそんなことを本人が全く意識
していないからこその輝きであり、それは普段どうということのな
いアスリートが競技中に見せる美しさに通じる。また前日に見た
noismダンサーの表現と全く異質ながらその強度において共通する。
作者でもある奈尾真の怪演ももちろん凄まじいのだが、男性は自分
を表に出すことがはなから前提とされているのに対し、自らを慎ま
しく秘めることを美徳とされてきた本邦の女性が、装飾を剥ぎ取り
心身を剥き出しにしている姿はより大きな衝撃をもって胸を打つ。
女性の表現者に特に敬意を表する所以である。
 開演前受付にはどこかで写真のみ見たことのあるもしもし2人が
普通に居る。舞台には描いたような?アングラ的四畳半セット。や
がてハンドマイクで開演アナウンスをすると、チャンカチャンカ踊
り狂いながら、やがて「全員集合」が入り混じりながら、舞台が始
まる。ここら辺は、ちょっと前の新潟でもよく見た感じの懐かしさ。
が、」途端に室内では大音響に負けず身も世もなく泣き叫ぶ女、そし
て窓から覗き込む男。一瞬で別世界に持って行かれる。戯画化され
たその「泣き」は、自らを主張する赤ん坊の泣き叫びと同じ意味で
リアルである。この芝居ナンセンスに見えても徹底的にリアルなの
だ。どうやら盲目であるらしい(あるいはそう振舞っている)女の嘆
きを、窓から侵入した男は持参した各種食品をエサに留めるのだが、
女の呪詛に似た恨みつらみは、過去の振られ続けた男性たちに向け
られるようだが、思うに任せない人生への苛立ちと諦めは、男性た
ちを通して、力を持つ何者か、すなわち「何もしてくれない」「気ま
ぐれな」神、あるいは超越的存在に向けられている。卑小な人間存
在の、神に対する異議申し立て。赤貧の生活の中で、この狭い部屋
に執着する女は、その部屋を貸与し居住の可否を握る「ジン(神?)
さん」との橋渡しとして、そしてやがてはそのものであるかのように
して、侵入してきた男に訴える。作業着姿の男は明け渡しを迫るの
だが、次第に女との奇妙な時間と空間を共有しそこに留まっている。
所持品や携帯の着信から、男には妻子あることが示されていくが、
同時に女への関心も深まり、欲情にも発展する。ここは奈尾の顔と
表情が大いにものを言う。ゴリラマスクの女との激しい接吻。こん
なに醜く美しいキスシーンは滅多にない。マシンガン的台詞に伴い
分裂症的に瞬時に入れ替わる喜怒哀楽の表情は、それぞれ瞬間にお
いて真実であり、見ていて飽きることがなくこれまたリアル。食品
の争奪、蒸しタオル、男の語る「神崎菊之助(ジンさん)」と群馬県
小川村大火事の話、空気入れで膨らむ女の腹、ブラインド将棋など、
一見バラバラのエピソードは、しかし全てが有機的に絡まって2重
の将棋台に乗った女が男にリフトされる美しいクライマックスへと
収斂されていく。男が自ら部屋を崩すという形での屋台崩し、そし
てぽっかり広がった空間でのラスト。何ともすとんと抜けた爽やか
さ。本作はもしもしの全部ではないけれど、部分にその本質は宿っ
ている。  
 翻ってみれば(もしもしガシャーンの意図とは異なるかも知れな
いが)、予め押し込められた思うに任せない境遇、求めるものは手か
らすり抜けていく中、自分に与えられた小さなものにしがみつきな
がら、そこでのほんの小さな触れ合いと本来欲していなかったはず
の欲動に動かされる、これはまさに人間、いや「自分」の姿である。
晒すことのできない自分の内側を剥き出されたような、奇妙な爽快
感がある。

[76] すて 2007/10/09(火) 00:24 [削除]
[公演名] 生まれ晒し [劇団名] もしもしガシャ〜ン
 少しわかり辛いだけで、爽快なタッチでした。少なくとも頭が
混乱することはなかったです。いい意味で。バックグラウンドの物
語は語られず、物語から発行して浮き上がった上澄みを丁寧にすく
いとりながらシーンを作っていったんだろうなという感じ。「混沌」
と言われるのは心外なのかもしれないなと思いました。不思議と好
感が持てたのは、役者二人がむさくるしいのに可愛かったり、私と
同世代だから共感する部分があるのかも。
 完全アウェイな舞台のはずなのにネタで笑わせられたし、役者二
人のファンになりかけました。長台詞の部分よりも、台詞の掛け合
いが面白かったです。長台詞の部分を聞いてるとコチラは迷子にな
っちゃうんですよね。情報量が多すぎて。そこは私の頭が悪いから
かも知れないけれど。
 個人的な趣味だけど、2時間は長い。いえいえ、あっという間の
2時間だったんですが、長いと感じさせる要素はあったと思います。
 「新潟にはないタイプの芝居」と、ひとくくりにしたくはない作
品。行き止まりの場所で、生き溺れている感は、30代の我々には
凄く共感できる部分ですもの。舌足らずの作品だったかもしれない
けど、僕はまた観たいと思いました。


[71] そりゃあパンストもいいけどさ 2007/09/30(日) 23:29 [削
除]
[公演名] こちらESP〜 [劇団名] 斎藤ゼミ
やっぱり芝居の話をしましょう。
管理人さんは違う人なのだろうけれど、地味に頑張っていらっしゃ
る公演スケジュールのお陰で観ることができました。まずは御礼。

あらすじはオトアンさんのカキコミでまるわかりだろうから、主観
的に感想を書いておきます。

ヒジョウによく配置された小道具、特にホワイトボードの仕掛けに
感心しました。
多数の登場人物の自己紹介を「メガネッコトーナメント表」と対照
しながら観ることが出来る仕掛けに、まず唸る。
さらに、舞台前方で展開する1:1の「告白」シーンの真ん中に、
いつもガッツポーズの斎藤氏のポスター。これも実に楽しい仕掛け
です。

その他、細かいところでも実に筋が通った小道具とシーンの相関が
あり、こういう事がちゃんと出来ている芝居は偉いと思います。

ただ、こういうフェアプレイの気遣いが芝居自体の「こじんまりと
した薄さ」の原因になっているような気も・・。

各役者、非常に台詞回しが達者で、「ああ台詞表現というのは教養勝
負なんだなあ」と思いましたが・・では、どうやって「身体表現」
の魅力をそこに付加していくかが難しいところなのでしょう。

斎藤氏はスタニフラフスキーを引用して、今後の課題をすでにパン
フレットに提示しておられたが・・
僕にはそれが解決の道になる確信は、観劇中ついに得られませんで
した。

ある意味、斎藤氏のビオラのように・・
もっと自己中な熱意。アンフェアな力技が、このチームには必要だ
と思えてなりません。

それが実現できたら・・ちょっと凄い事になるかもしれませんね。
今後の新潟演劇界をリードするくらいの活躍を期待しています。



[70] オトアン 2007/09/30(日) 23:19 [削除]
[公演名] ワインと毒薬のクロニクル [劇団名] ロングランラボ 
プロデュース公演
千秋楽、3度目の観劇。それでも24分の3。改めて、凄い企画
だ。汗ばむ9月初旬から、肌寒い月末まで。若手の役者が修行のた
めにやるならわかるけれど、既に定評のある大女優が、時にはわず
かな、時には溢れるほどの、様々な客に対して真っ向勝負。客が受
ける強い印象は勿論だが、役者もまた日々変化する。それぞれに味
わいのある2人で、違いがまたよいのだが、今回安達修子が持ち味
の鬼気迫る表情に加え、抑えた台詞回しがいい感じだった。高橋景
子は懐が深く、演技に様々な方向への可能性を蔵しているが、それ
がよりシェイプされ研ぎ澄まされ、わかりやすい表現になっていた。
過去のスペインで女優2人が「血の婚礼」を稽古するシーンでは、
ラテンな女の強さと、役割り稽古のデフォルメされたキャラクター
の面白さに笑いが起きていた。
上の部屋で物音がすることを女優・安達に指摘された女主人・高橋
が、「気が向いたときにやってくる」野良猫と言うのは、2人の女に
挟まれた劇作家の男について適確に語っていたことが後でわかる。
男の足跡を追って来た女優が、「…知りませんか」とぽつっと漏らす
一言、聞いていないようで聞いている女主人の表情。繰り返し見る
とディテールが際立って見えてくる。散りばめられた多くの伏線が
収斂していくスリリングさ。女優の「さあ、わらしべストーリーの
始まりです」は酒鬼薔薇事件の不吉さを思わせる。現代の、ある男
をめぐる2人の女と、過去の、2人の西班牙の女優、そして劇「血
の婚礼」の母親と花嫁。それぞれの対立は次元の違うものだが、時
空を超えてリンクする。特に役者の出はけに合わせてバー「アラメ
ーダ」と西班牙グラナダのシーンは同じ構図からリスタートするた
め最初わかりにくいのだが、巧く組み合わされている。そして現代、
女主人がワインに仕込んだ「薬」で女優が倒れるクライマックスに、
劇中の惨劇がリンクする。男たちの死を悼み悲しむ女たち、しかし
一緒に泣くために敢えて婚家に帰って来た花嫁に対し、夫の母親は
それを受け入れようとはしない。母であり女であることの深い悲し
みを示す高橋の表情は素晴らしい。安達の悩む表情は美しく、そし
て微笑みは恐ろしい。同じ悲劇を嘆いても、その思いはそれぞれ異
なるのであり、思いを重ねることは拒否される。現代の、劇作家で
ある男にまつわる愛憎、それは男の死に繋がるのだが、その悲劇に
ついても女優と女主人は同じ視線を持つことはないし思いを共有す
ることはない。お互い、相手のことは「わかる」のだが、それでも、
いやそれだからこそ敢えて拒まれなければならない。おんなの強さ
と怖さを見せつつ、しかし愛おしく思える作品。お疲れ様でした。
そしてご馳走様でした。


[68] オトアン 2007/09/30(日) 18:00 [削除]
[公演名] こちらESP開発研究部 [劇団名] 新潟大学齋藤ゼミ
演劇公演
 シアターent.入口に「この町大好き 樋村よういち」の文字を
背にサムズアップした齋藤先生微笑むポスターがあって、あれそう
いう話だっけ?と思いつつ開演を待つ。のっけからネタバレすると、
樋村あらたの叔父である市長らしい。新入生勧誘が思うように行か
ず落ち込む「ESP開発研究部」の面々。躁的ですらあるテンショ
ンの部長・樋村あらた(田村隼紀)、冷静で学求肌の友人・葛裏しょ
う(渡部敏喜)、しっかり者の辻さおり(南部恵美)、後輩口調の久我
山みその(山口香織)。そこにチャラい感じのサボり魔・飯山かな(伊
藤加奈子)が一年生を連れてくる。かなに憧れる夏木かつゆき(上野
隆)とかつゆきに片思い中の幼馴染・鈴生まこ(高田奈央子)。学生た
ちが部室で肝心のESP開発などまるでせずだべる姿はいかにもだ
が多少類型的。無人の時を見計らって上手のロッカーからひょいと
登場する謎の男(齋藤教授)はポスターと同じ顔、ビオラ演奏のサー
ビスあり。後に出てくる女=妻(小川美緒)も、すでにこの世にない
ことがわかる。顧問の西城ゆうき教授(西岡衣舞)は、あらたの母で
あるこの女の親友であり、あらたの父であるこの男を愛した。父を
失って嘆いていたあらたに、死んだ人は星になり、強く願えばやが
て帰ってくると慰めたしょうの言葉をあらたは信じ込み、母の危篤
にもけろりとしている大学生にしてはその無邪気さに多少無理があ
るが、劇研他で舞台を踏んでいる田村氏の、テンションが高くても
醒めた視線と飄々としたキャラが、無理に思い込んでいるあらたの
姿に合っている。あらたの状態に責任を感じるしょう、渡部氏は今
回クールなカッコいいキャラで、微笑ましくも結構それっぽい。ク
ールでもあまり堅くならず、少し余裕をもつといいだろう。あらた
を密かに思うさおりの告白シーンは可憐で、ちょっち赤面。辻さん
は台詞以外のところでも気を配っている。実は孤児で、唯一死者た
ちを見ることができるみそのは結構キーになるキャラ。山口さん頑
張ってるなというテンションだが、少し自然体でもいい。かなを追
うかつゆき、かつゆきを追うまこはいかにもな構図。かなはイメー
ジほどワルい感じがなく普通のお嬢さんぽい。上野氏はいいキャラ
だから、視線のふらつきや手の所在無さがなくなるといい。高田さ
んは一生懸命さがよくわかる。小川さんはいい具合に年齢感を出し
ていた。齋藤先生は、妻に対してジェントルで、(セクハラに見えな
いよう)気を使っている感じがした。勝手なことを言えば、もっとベ
タベタしてもいいのでは。見守る優しさは人柄の反映。西岡さんは、
アニメ的でもあるかっこいい台詞回し。でも多分大学の先生ってそ
んなにかっこよくないでしょ?(←失礼)
 初舞台の人もみんな舞台上でテンションを上げることが大変なこ
とを体感し、また実際頑張って上げている。ただ、自分のところピ
ンポイントの上げなので、素が透けてみえるところがある。もう少
し肩の力を抜いてみるといい。舞台にいることを楽しむ気持ちが出
てくると思いがけないアドリブも出る。何度か舞台を踏むとわかっ
て来たでしょ。さて、このわかりやすい展開(でも父と叔父無理に双
子でなくてもいいじゃん)、造形のくっきりしたキャラ、各キャラの
背景の描き込み、ハッピーエンディング、これは少女マンガの世界
だ。それは自分も嫌いじゃないのだが、実際の20代ってもっとど
ろどろしてない?最近マンガだってへヴィーなのが多いし。これだ
けちゃんと作れるなら、よりオトナの芝居にチャレンジしてもよい
かな。合議制だとどうしても全方位的になってしまうし芯が曖昧に
なりがち。ただ、ストーリーを作り、舞台を立ち上げ、公演を打つ
までの一連の流れを実際に行うという意味では台本をみんなで作り
上げていく過程が大切なのはよくわかる。またきちんと話にけりを
つけたいのもわかる。願わくは今回よくやったよかったで終わらず
に欲を出してもっと質を高めて行きたいと思ってほしい。滅多にな
い体験ができる若者うらやましいっす。

[67] すて 2007/09/30(日) 17:26 [削除]
[公演名] サンマージャンボ [劇団名] 中央ヤマモダン
自分のBlogに感想 書いたよ!
見に来てねぇ〜。♪
(9月30日の日記)


[62] すて 2007/09/25(火) 12:11 [削除]
[公演名] モテモテ水溶き絵の具 [劇団名] 劇団ハンニャーズ
時期も遅くなりましたが書きます。
今回中央ヤマモダンの江尻晴夏が脚本を担当したとのことだがそれ
らしいものになっていた。勝手な考えかもしれないがすごく女性ら
しい感性から描き出される小ネタ?の数々が散りばめられた舞台だ
った。わからせる、というよりは共感を求める小ネタのオンパレー
ドであったと思う。それを演出、役者陣がうまく昇華して仕上げて
いた。演劇的ダイナミズムはあまりなく、そこまで予想を裏切った
面白さ、独創的な小ネタがあった訳ではないがいい舞台であったこ
とはたしかだと思う。それゆえの長さがあったようにも感じたが船
出としてはいいものではないか。これからどのような航海を繰り広
げていくのか楽しみな存在である。

[60] すて 2007/09/24(月) 21:20 [削除]
[公演名] トイレはこちら・いかけしごむ [劇団名] ゆでたまご
の会
自分のBlogに感想 書いたよ!
見に来てねぇ〜♪
(9月24日の日記)

[58] オトアン 2007/09/23(日) 21:34 [削除]
[公演名] トイレはこちら・いかけしごむ [劇団名] ゆでたまご
の会
 別役でR。ある種のニュアンスで「ああベツヤクね…」「ベツヤ
ク、かあ…」となぜか会話が言葉少なになってしまうような、こう
ハキハキ語れないような雰囲気をもつ劇作家。つまんないって言っ
ちゃうと、シロウトっぽく見られそうだとか、でも手放しで面白い
かっていうと結構苦行のような観劇だし、なんてココロのツブヤキ
が聞こえてくるぞ!誰ですか(私です)。でもね、段々と面白さわか
ってきたような気がする時があるっすよ。ああ、って腑に落ちると
いうか、引っかかる部分が増えてきた。日常の中でのそこはかとな
い狂気、そして狂気の中で垣間見える理性。理屈っぽい不条理。メ
ンタルヘルスという言葉があまり聞かれなかった頃から、人間心理
の不安定で奇妙な在りようを示してきた別役作品。日本でしかない
のに異国的、むしろ普遍的。色気はないのに妖しい性の匂ひ。様々
な要素があい混じる、おとなの芝居。「言葉」が人を迷わせ、動かし、
あるはずのものを消し、見えないものを具現化し、ないはずのもの
を生み出す。同じ言葉でもその操り方、発語やその間によって舞台
上でしか起こらないマジックが実現していく。淡々とし過ぎては退
屈でしかなく、エキセントリック過ぎても無理な痛々しさや違和感
が残る。ある意味役者の力量が試される怖い戯曲群。でも、開き直
って自分(たち)なりの別役にしていいのだし、それ以外に正解なん
てないのだろう。
 ent.は、まさにこういう芝居にうってつけの小屋だ。濃密な暗闇
を現出し得る。開演前、上手の電信柱(少なくなったなあ)とロープ、
中央のベンチを見て、「世界」ができているなあと思った。「ゆでた
まごの会」なんていうと(「いかけしごむ」だし?)キン肉マンのオ
フ会かいと不毛なツッコミを入れつつ二本立てに臨んだが、予想通
り田中みゆきが舞台の中心であり、そして予想以上にしっかり別役
の世界を体現していた。伝法な婀娜っぽい姐御肌は以前から定評が
あるが、少し老けたというか枯れたというか円熟したいい塩梅で、
年齢を超えたキャラクタを作ることができている。「トイレはこち
ら」の自殺志願の女にあるノイローゼっぽいところも、「いかけしご
む」での狂言回しとしてのファム・ファタル振りも演じ分けられて
いる。井上ほーりんを役者としてどう評価すればいいかわからない
が、今回に関して言えばいきり立ちつつも感情が表情としては表に
出てこないところがかえって「トイレはこちら」の少しネジの弛ん
だ男にははまっていた。台詞のたどたどしさは、ぎりぎり許容範囲
内か。そしてカタコンベのこういう?面をよく体現してきたジャン
ボ佐々木(芸名マリーアントワネット時代が懐かしい)。「いかけしご
む」では正気と狂気の狭間で揺れる男を、自分の領域にひきつけて
熱く、それゆえ説得力をもって演じている。舞台に笑いを起こす点
で最も貢献していた。今回公演の牽引車的存在と言える。制作面で
は各方面の協力が微笑ましく、幕間でのドリンクサービスなど、ア
ットホームでいい感じだった。今後このユニットがどういう形で行
われていくかわからないのだが、ぜひいい意味で予想を裏切り続け
てほしい。

[57] すて 2007/09/23(日) 12:18 [削除]
[公演名] 「モテモテ水溶き絵の具」「ワインと毒薬のクロニクル」
齋藤研究室で、劇評がUPされてま〜す
チェキラ!

http://www.human.niigata-u.ac.jp/~y.saito/writing/0916.html

[49] オトアン 2007/09/16(日) 01:15 [削除]
[公演名] モテモテ水溶き絵の具 [劇団名] 劇団ハンニャーズ 
番外公演第5弾
 一言でまとめれば、ハンニャーズ・一発屋が育んできた女優陣
のタレント(才能)を改めて感じた。重ねてきた時間が、実っている
のだなあ。久しぶりにこの舞台で見る、五十嵐を演じる志田実希(あ、
おめでとうございます!)は、無邪気な表情に裏腹な毒を秘めた、
絶妙なさじ加減で、これは一発屋作品でも見ることのできたもので
はありながら数段大きく、あるいは熟して戻ってきたように思う。
舞台を回す張本人でありながら、そして冒頭で予め手の内を語りな
がら、何を考えているのか不詳な感じが全編の空気を決している。
ネタバレだが、ラストのいかにも中央ヤマモダン江尻晴夏らしい落
ち(まさに落語)の器用さも流石。五十嵐の友人で、その企みにに
こにこ乗せられて行くみどりを演じる近藤聡実(おお、実りの2人)、
いろいろな引き出しを持ちつつ、今回は気のいい天然キャラにきっ
ちりアジャストしている。彼女にはデヴォーションという言葉が思
われる。役柄に対する入り方、そのための殻の壊し具合、学生さん
たちにぜひ見習ってほしい。そして1つの劇団に対し自らを捧げる
度合いについても、彼女ほどの献身度は滅多に見られないと思う。
同じく五十嵐の計画に巻き込まれる岡山・山川祐賀子(遅ればせな
がらおめでとうございます)、ミワコ・小出佳代子は、もはや若手と
いうポジションでは語られない(いや年齢じゃなく)、堂々たる立ち
姿で、学生の頃のどこかハラハラする感じの妙な味わいから、安心
して笑える?図太い感じになっている。和製アンジーを名乗る岡山
のずれたお色気アピールは、山川の持ち味だけれど、以前より吹っ
切れている。清楚な見た目で結構トゲあるミワコの小出は、(こけし
的な)不安定さが薄れ、感情をうかがわせない視線に磨きがかかっ
ている。
 ストーリーは特に捻りがあったりすることなく、中盤のギャグで
繋ぐシーンについても、単発的な笑いであって、物語的なカタルシ
スを求めるならば肩透かしを食らう。これがこうしてこうなってと
いうケリや謎解きに向かっていく芝居ではないし、各キャラクタの
プロフィールもぽつぽつ語られながらも、客が誰かに感情移入して
いくことも狙いにはない。ある意味、ラストの落ち、あるいは下げ
の無茶振りこそがこの「芝居」の肝なのだと、見終わって気づく。
ただ。コラボレーションゆえに相殺されてしまう面もあることは事
実。中央ヤマモダン+ハンニャーズ、想定から大きく外れるもので
はない。もっと飛距離が出る方法もいろいろある。ま、それはそれ。


[42] すて 2007/09/09(日) 01:33 [削除]
[公演名] ワインと毒薬のクロニクル [劇団名] ロングランラボ
自分のBlogに感想 書いたよ!
見に来てねぇ〜♪
(9月9日の日記)


[41] オトアン 2007/09/08(土) 02:47 [削除]
[公演名] 中央ヤマモダン番外企画#3 SUNMER JUMBO〜サン
マージャンボ [劇団名] 中央ヤマモダン
 面白かった。
ちず屋の二階、ワタミチ、ent.にりゅーとぴあスタジオと、キャパ
が大きくなると各種テクノロジーの使用も幅が広がって様々な試み
を取り入れてきた中央ヤマモダンだけれど、芯の部分はずっと変わ
らない。今回のワタミチでの公演には映写もないし、照明や音響の
効果も限られている。しかし手持ちの音(ラジカセ)や光(ロウソク)
その他のローテクな仕込み・仕掛けがむしろヤマモダンぽくて、自
然ではまってるなと思う。力は入っているのだろうけど、無理して
る感じがなくて、70分という時間も含めてほどよい感じ。
 今回は、サンマージャンボということで、ジャンボゆめの(夢野?)
さんがじゃんじゃんサービスしてくれる。あ、そうそうありがとう
ございました、ビンボーなのでラッキーです(私信)。ヤマモダンと
のコラボ、というかもはやコントすら豚切り現れる。ちょっと某FM
○ートの誰かを思い出すね。今回のメインともいえる。こういう舞
台と客が接近した空間で、しかもそれをつなぐ働きかけ(福引き)が
あることで、客はただ眺めるのでなく同じ時間空間を共有する体験
を得る。この雰囲気は、まさに「ライブ」ならではだ。理屈抜きに
楽しんじゃえばいいんだ。
 例えばオープニングのコントは、話が(これあまり使いたくない表
現だけど)ふつーによくできている。ありがちで落ちの弱さはあるけ
れど、ちゃんと笑えるシチュエーション。このように、プロットが
よくできているネタは、ひょっとすると他の人がやっても面白くな
るだろう。一方、ワンアイディアのみでなく、ひとつのネタの中に
いくつか引っかかりどころがあって、それを展開していけば複数の
ネタができそうな、一種散弾銃的なものもある。ラストのコントな
どそうかも知れない。そもそも設定がシュールで、加えて各人物の
造形ががまた妙。いくつもの突っ込みどころをあえてそのままにし
て落ちに行く乱暴で分裂症的なところが面白さに繋がっている。あ
るいはネタが途中で遮られ、スムーズな流れで落ちまでたどり着か
ないものもある。これらは、メンバーのキャラクターで見せる部分
が大きい。他の人では成立し得ない笑い。四者四様、独特の佇まい
で、でもみんな笑わせることが好きなんだなあと感じさせる。ただ、
とても低姿勢なのだが客に媚びないというか、迎合的な笑いを求め
ない。誤解のある表現かもしれないが、より多人数にヒットするよ
うな爆笑必至の方向にあえて行かない感じ。深く考えての方向性と
いうより、生理的な好みだと思うのだが、このどこを目指している
のかわからない感覚が、ヤマモダン一流の持ち味でもあり、かつあ
やうさでもあるのかな。肩の力の抜け具合は、とってもいい塩梅。


[37] オトアン 2007/09/05(水) 11:48 [削除]
[公演名] ワインと毒薬のクロニクル [劇団名] ロングランラボ 
プロデュース公演
 思い立ってふらっと出かけると、いつでも何かしら芝居がかか
っていて、気軽に見ることができる(下北沢のような)環境があると
いいなと思っていた。大小いくつも小屋があるシモキタとは違うけ
れど、劇場ではないけれど、今回ワタミチで9月ほぼ毎日何かしら
公演があるというのは嬉しくありがたいことだ。小さいスペースだ
が中身も素敵で、失われつつある猥雑な新潟の路地に近接する雰囲
気がまたよろし。
 演劇が遠い舞台上でなく役者の衣がふわりと客に触れるくらいの
目の前で行われ、薄暗くアンニュイなワインバーの空間に自分も身
を置くような感覚で(特別サービスの)グラスから真紅の雫を口にす
る贅沢さ。イェッフー!高橋景子、安達修子がラテンな衣装で艶女
(アデージョと読まないようにね)振りを遺憾なく発揮する、濃厚な
1時間強。
 以下ネタバレ含むので、これから行く方は読まないことをお勧め
します。
客足もほぼないワインバー・アラメイダ。ロルカの詩集を読んでい
る女主人(高橋)のところに、上機嫌で訪れる馴染みらしき女優(安
達)。よく知る仲でかつどこか突っかかる女優(ワインに?上気した
安達の表情が艶やか)、それをいなしながらも時に辛辣さを覗かせる
女主人(おとなの余裕と垣間見えるおんなの貌、高橋天下一品)。グ
ラスを空けながら交される会話は、何気ないようで駆け引きでもあ
り、客にも多くの情報が小出しに伝えられている。高校生(やアマチ
ュア劇作家)などが書く台本で、あまりに饒舌に自分や相手の設定や
心情まで語って説明することで終始するものがあるが、シダジュン
の作劇は何と洗練されていることか。その場ですんなりわからなく
ても、思い返して細心の緻密な筆使いに改めて感銘を受ける。芝居
はこれくらい噛み応えがあってこそ面白い。
 2人の会話は、説明もなく照明の変化のみですっと(恐らく数十年
前の、スペイン・グラナダで)ロルカの「血の婚礼」を稽古する2人
の中年女優に場面転換する。2つの場面をつなぐのが1冊の(署名?
入り)ロルカの詩集と、演じられる「血の婚礼」である。内容を知っ
ている人はもちろん、特に詳しくなくても(自分っす)この芝居を見
る上で全く問題はない。稽古で主となる女優の滑らかで真に迫った
演技と、相手をする女優のあえて感情を入れない棒読みの演技がち
ゃんと演じ分けられる。さらに現代日本のバーでの2人、様々な位
相の演技がそれぞれ区別されている。高橋景子と安達修子、演技ス
タイルは違うが、それぞれの持ち味を出しつつ絡み合いいずれも得
難い貴重な役者であることを再認識させられる。
 やがて、「血の婚礼」をもとにした芝居の主役をもらって上機嫌な
女優が、実は愛人関係にある劇作家を探して、彼の別居している妻
である女主人のもとに来たことがわかる。かつて「21時37分、宝
石は眠る」にも見られた、登場しない男をめぐる2人の女という構
造だが、劇中の「花嫁」と「夫の母」、2人の女優、複層的な対立が芝
居に奥行きを与える。そして予想されるカタストロフへとなだれ込
む。
念のためもう一度ネタバレ注意。
ワインに倒れた女優は、毒を盛られたにしても致死性のものではな
く、上階にかくまわれた男こそ毒殺されたことが暗示される。アン
ケートにやさしいと書いたが、より正確には冷酷な仕打ちなのであ
り、おんなの情念がくっきりと浮かび上がる。にも関わらず、男を
奪った年下の女優に対し、女主人が示す心情には、どこか暖かさが
あると感じる。何度も観て、熟成していくワインのような芝居を味
わいたいものだ。


[31] すて 2007/08/28(火) 07:25 [削除]
[公演名] 夏、〜踊る恋人たち〜 [劇団名] Cassis Beat * NOPPU
* YUPPE
自分のBlogに感想 書いたよ!
見に来てねぇ〜♪
(8月27日の日記)


[30] すて 2007/08/28(火) 07:19 [削除]
[公演名] 100万回生きたねこ [劇団名] APRICOT
自分のBlogに感想 書いたよ!
見に来てねぇ〜♪
(8月26日の日記)


[28] オトアン 2007/08/27(月) 12:37 [削除]
[公演名] 100万回生きたねこ [劇団名] APRICOT
 まずはりゅーとぴあ三階席まで埋まる集客力に驚く。もちろん
子どもたちの姿を見るために家族や友だちが駆けつけるのだが、そ
れでも内容が伴わなければここまで継続的に客が集まるわけがない。
足を運んだ人は、何かを得て帰って行く。「○○ちゃんを見に」来た
人が、「APRICOTを見に」来るようになる。願わくはこれがさらに
広がって、芝居を見ることの愉楽に目覚める人がもっと増えますよ
うに。
 個人的にはミュージカルより演劇にひかれる。うたと踊りの力は
認めるが、演劇にははっきり語られない感情表現の深さがあると思
う。ただ良質のミュージカルやオペラには歌で「語って」しまうそ
の制約を超える瞬間がある。今回の「100万回生きたねこ」原作は、
削ぎ落とした詩的なことばで行間に多くの思いが込められ、またあ
の無愛想な絵柄が逆に雄弁で、絵本ならではの唯一無比の作品とな
っている。しかし舞台にのせる以上それを目に見える形で表してい
かなければならない。確かに困難な挑戦だが、原作とは別物ながら
そのエッセンスをとらえた作品になっている。本来子ども向きとい
うより大人に響く話だが、客席を見る限り子どもにも感じるものが
確かにあったようだ。
 りゅーとぴあ劇場を素舞台で全面使うには大変な力が要る。
APRICOTは舞台を十分に使いこなし、数個のコロ、数本の棒、網、
そして照明と幕だけで王さまの戦場、船の上、サーカス、どろぼう
の入る家、老婆の侘び住まい、わがままな女の子の部屋、そしてね
この世界など幾多の場面を描き分けた。スタッフワークは流石だが、
それ以上にコロスとしての「ねこたち」が見事な歌唱とダンスを繰
り広げながら、緻密な動きで場転をスムーズに成立させている。揃
っているだけでなく、それぞれが表情を持ち生きた存在として自分
の立ち位置をしっかり保っている。ステージママ・パパならずとも、
胸を衝かれるではないか。多少小粒になってきているけれど、どん
どん次の世代が育ってきていることは喜ばしい。サーカスでのジャ
グリング(ボール、クラブ、リングにポイまで)の見事さに稽古が忍
ばれる。また主演のねこ:瀧澤綾音嬢はモダンバレエ的な動きの入
った身体表現力の素晴らしさで大きな存在感をはなっている。
 100万回生まれ変わって様々な人の手に渡り愛されながらも、誰
にも心を許さなかったトラねこ。その遍歴は彼に厭世的でかつ自尊
多卑の思いを植え付ける。ねこを愛玩し、失って嘆く人々は、しか
しあくまでも自分が中心のアフェクションであり、ひとしきり嘆い
た後は再び変わらぬ日常に戻っていく。この人間批評的な視点は舞
台独特。
やがてねこは自分の特別な経歴に関心を見せないひとりの白いねこ
と出会い、自分もひとりのねことして向き合って共に生きる。この
場面から、それまでの歌による語りから、台詞での会話となる。歌
あってこそだが、ここでのことばは訴える力が大きい。ようやく愛
するもの、妻と子どもを得た彼は、老いて妻を亡くすと初めて泣き、
そして死ぬ。もはや生き返ることはない。そして、コロスが繰り返
す「あなた わたし」・・・。気がつくと、三階席の隅で涙を流してい
る自分がいた。何だろうこの涙は。ストーリーの力はもちろんだが、
それを自分なりに消化し精一杯表現している彼らの姿に、敬意を表
せずにはいられない。


[18] オトアン 2007/08/06(月) 08:54 [削除]
[公演名] 壺中天公演 「舞踏虎ノ穴」 [劇団名] 大駱駝艦
 舞踏だ裸だスキンヘッドだアングラだという固定観念は、大き
くはずれたものではないが、やはりナマで見ることが肝要でありイ
メージを打ち破られるということを改めて思った。そして見ること
ができてよかった。どんどこ深読みできてどつぼに嵌るのも楽しい
のだが、肉体の極限を搾り出すかのような動き、そして精神の動き
が、知らず琴線に触れ胸を引っ掻かれる。一方、鹿爪らしい顔で見
続ける必要はなく、ユーモアには遠慮せず笑っていいのだというこ
とも体感してわかることだ。今回「舞踏虎ノ穴」を見たが、もう1
つの「2001年壺中の旅」も含めタイトルにパロディ感覚と同時に世
界観が表現されている。しかし英題にButoh Boot Campとあるの
も笑えるな。
 5シーンから成り、壱「或る日の虎ノ穴」では厳しいBoot Camp
が繰り広げられている。剥き出しの肉体とその見事な統御がこれで
もかと見せつけられ、しかしコミカルさもある。そこに弐「仏蘭西
帰りの先輩登場」、少しユルめの身体でにこやかに登場しいかにもの
土産を配る(実際にジョセフ・ナジ作品で洋行した)田村一行(だよ
ね)。その影響でフレンチな曲に合わせ楽しくかわゆく身を揺する舞
踏手たち。突然黒電話が鳴り、応対した者が震え出す。参「伝説の
舞踏手」登場。白塗りの顔にSM的なマウスストラップを装着し涎
を垂らし、四肢に椀を括りつけてよろけながらやって来て、空気を
一変させる村松卓矢(だよね)に慄く舞踏手たち。舞踏の真髄を叩き
込んじゃる、と言わんばかりの威圧感。やがて御輿のように担がれ
てトップロープ(かな)にうっちゃられる。一般的舞踏観に対する諧
謔的な視線を感じる。舞踏手らが去り静寂の訪れた舞台に登場する
白塗りの男、四「虎ノ戯作者」登場。その道を極めた段階が上がる
程、白塗り度合いが高くなってるようだ。見事な身体の動きを見せ
る向雲太郎(だよね)は、もう一度舞踏の険しくも気高くかつ愉しい
ありようを示す。その所作には野生の虎の姿が映される。戻って来
た舞踏手たちが、客席に向かって名乗りを上げ始める。「○○と申し
ます」。あたかもイニシエーションを経て舞踏手として立つかのよう
に。襲名披露のように。やがてその唱える名はどんどんそれて行き
意外な名前で笑いを誘う(「山本五十六」やら「麿赤兒」やら「エビ
ちゃん」やら)。あ、同じ時代、同じ空間で生きている人たちなんだ、
と当たり前のことに思い至る。そういえば終演後ロビーで会った一
部の舞踏手たちは(TATOO入りの人も含め)本当に穏やかでごく普
通の若者たちだった。暗転で大きな拍手が出た後、ついに!麿赤兒
が登場する。その圧倒的な存在感。ゆるやかな動きの中に幾多の思
いが満ちている。ほんの数分、しかし実に濃い。今回は、大駱駝艦
のポテンシャルのごく一部を見たのだと思う。そして再び、何から
の機会にまたこの世界に浸りたいと思う。


[17] オトアン 2007/08/06(月) 08:50 [削除]
[公演名] 真昼のリップサービス [劇団名] ハンニャーズ
 何というか、初期の一発屋を見ていた頃は、ちょっとスノッブ
でコナマイキなワカモノたちという印象があったのだけれど、だん
だんと屋員の人となりに触れていくととても人柄の良い好青年たち
だということがわかってきた。ある意味、年輪を重ねて熟してきた
部分もあるだろう。 
 ハンニャーズとなってこのところ続いてきたコント公演について、
何だかんだ書いてきた感想は、的を射ていないかも知れないが、い
つもその都度全力で取り組んでいるのだろうけれど、どこかにまだ
ポテンシャルが蔵されているように感じてきた。ここのところ、前
説や途中でのお尻ほぐしなどのMC他、公演の枠をくずす働きかけ
があって、それはそれでいいけど少しサービス過多かなと思ったり
した。
 今回は、幕あきから終幕まで、意識的にそういう演出は抑制され、
ほぼMCなし。良くできた映写、そしてネタのみで勝負する潔さ。
暗転した後、一回ブルーバックで静止画像となるのだが、スタイリ
ッシュでクールだけれど、それはまたクールダウン効果もあって、
オチ・爆笑・ハケというお笑い系コントとは異なるアプローチなの
で、すっと客をそれまでのコントの世界から引き戻す。これもまた
意識的な手法だろう。それだからか、笑いを追求しながらもストイ
ックな感じ、なりふり構わず笑わせればそれでいいというヒキョー
さを感じさせないところがある。下ネタもあるのだが、それすらど
こかに品がある。演出と演者に、下ネタに対するある種の羞恥心が
あって、それは演じることをはずかしがるというのではなく、下ネ
タの力だけで笑わせようとすることについての抑制があるというこ
とだ。ハンニャーズのコントにえろぐろは今のとこない。  
 1つ1つのネタが長いことは、設定がたとえシュールでも(たとえ
ば04「リトルワールド」)、「何か訳がわからないけどオカしい」笑
いではなく、こういうところがオカしいという演出の意識がしっか
りある笑いで、その説明が丁寧であることを示している。ハプニン
グ的なものを取り入れても、それもまた演出意図の範囲内である。
計算と言えば05の「単純作業」、淡々としているようで最後ピタッ
と揃った瞬間はちょっと震えるほど感動的だった。生み出された一
つ一つのネタに、思いが込められている。その濃さもまた、ヤマモ
ダンなどの軽みとは違う点だろう。
実に真面目なハンニャーズ、そう言われることは笑いを追求する中
嶋氏とニャ員にとって必ずしも本意ではないかもしれないが、これ
は美点でもある。ハンニャーズはハンニャーズ。己が路を曲がりく
ねりつつ行くべし。



[16] すて 2007/08/05(日) 21:34 [削除]
[公演名] 真昼のリップサービス [劇団名] 劇団 ハンニャーズ
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(7月21日の日記)


[13] オトアン 2007/08/04(土) 18:19 [削除]
[公演名] テンペスト [劇団名] KURITAカンパニー
 KURITAカンパニーとしての第2回公演。メインキャストが「り
ゅーとぴあ能楽堂シリーズ」と被るため紛らわしくもややこしいの
だけれど、能楽堂ならぬスタジオBで、和の様式に拘らずまた別の
演出スタイルが見られる。前回のリア王は衣装も派手で、力(と金)
の入り方が凄いと思ったが、今回はよりスタジオに馴染む作り、衣
装もジーンズにTシャツ・カットソーとラフで、身近な感じがある。
能楽堂シリーズはこのところ外部の著名な役者を迎えてハイソ感が
増して (その分料金もハイになって)いるが、KURIカンは生え抜き
の役者をメインに、役者としてのキャリアもかなり幅があり(今回は
AUN谷田の他、地元 Area-Zeroからも客演)、許容範囲が広いよう
だ。しかしそれはカンパニー名義作品のクオリティが低いという意
味ではない。むしろ、能楽堂ゆえの拘りや制約が薄い分、よりシェ
ークスピア(震槍)翁のテキストに正面から取り組めるし取り組んで
いる。テキストについても基本的にそのまま用いる。やたらイマ風
なアレンジはしない。役者はよく鍛えられ台詞を血肉化している。
また登退場の見せ方、様式化された振付など能楽堂シリーズにも見
られるエッセンスは共通しており細部まで神経が行き届いている。
今回はピアノ音楽・振付に女優でもある横山道子の名がクレジット
され、カーテンコールでも栗田氏と並び拍手を受けていたが、こう
いう才能を発掘し適宜用いていることも特色だろう。関連して1・
2回とも栗田氏がメインキャストとして大活躍しているのもこのカ
ンパニーの魅力のひとつ。役者として忙しくても、集団の中での創
作という「楽」しさが栗田氏にもあったのではないか。さまざまな
サポート、協力の名をパンフレットに見て嬉しくなる。
 シェークスピア晩年の作で、高名な大悲劇や史劇とは違う、ある
種ユルいところもある「テンペスト」。風呂敷を広げておいて尻すぼ
みみたいな、えーっていう感が無きにしもあらずなハッピーエンデ
ィング。ほぼリアルタイムでの約3時間しか展開していかない舞台
上の時間。しかし、理想社会についての言及や赦しと贖罪の問題な
ど考えさせられるテーマが散見されることも事実。一方有色人種差
別的な部分(沙翁には時代背景もあり時折これを示す)などもあるし、
使役するものとされるものの関係にも引っかかるものがある。こう
いうテキストの問題を、しかしあえてそのままぶつかっている栗田
演出には好感を覚える。終幕でプロスペローが、観客の拍手によっ
て島に留まるかミラノに帰るか決まるので解き放って欲しいという
口上まで、ベタであるけれどしっかりテキスト通りやって、しかも
説得力があるあたりは流石。
 「悪役」アントーニオやセバスチャンの許され方、改心の心情が
不明確。キャリバンたち他人の処分についても、「おめーが言うな」
って感じ。
 4人の妖精たちは、オネエ系というかegg系というか(あまりよく
知らないが)、眉をつぶしたイマ風のせくすぃ〜なお姉さんの造形。
コロスとして効果的にストーリーを転がしている。
 エアリエルはプロスペローに対する愛憎入り混じった複雑な感情
と、アロンゾー一行やキャリバンに対する蔑視や懲悪意識があり、
心情を表現しにくい役だが、河内大和が見事に演じていた。プロス
ペローの心情変化にもついていくのは難しいのだが、それでも終盤
の語りにはしんみりしてしまう。テキストの言葉足らずのところを
演技演出でカバーしているというところだろうか。ただ、笑いにも
っていこうというところは大体みな弱かった。次は「リチャード三
世」、それもいいがぜひ喜劇にもトライして大いに笑わせてほしいな。

[10] 捨猫 2007/07/08(日) 23:12 [削除]
[公演名] テンペスト [劇団名] クリタカンパニー
クリタカンパニーのクオリティーの高さは別格といっても過言で
はないでしょう。
でも、私の好みではないから特別な感情をもってはいない。
むしろ彼らが究極的に目指しているものに、あまり関心はないのか
もしれない。

けど、今回のはちょっと好き。
クリタカンパニーでやるシェイクスピアの芝居は兎に角暗い。(イメ
ージとして。かなり、個人的な意見ですよ。あしからず。)

けど、今回のテンペストはハッピーエンド(?)な感じでびっくり
した。
テンペスト自体シェイクスピアの作品であることは知っていたけれ
ども、まったく内容を知らなかったせいもある。
どちらかというと、”から騒ぎ”や”真夏の夜の夢”のほうのベクト
ルのものなのかな?

栗田さんがそういう方向のモノをやると鼻ッカラ思ってなかったの
かもしれない。
(あるいは、栗田さんのニガニガしい表情や声がそれを彷彿させて
いたのかもしれないが。)
それをハッピーエンドと呼ぶならばという前提があるけれども、
まさか、ハッピーエンドに転がるとは思ってもみなかった。
私をそう思わせた要因の他の一つにはナポリ王の表情。
私の心が汚れているせいか、最後まで彼がプロスペローに心を本心
から許していると思えなかった。
「疑わしい、疑わしいプロスペロー、彼は彼の魔法を操り、我々を
操り、マンマとミラノ王に返り咲き、さらに、わが息子の嫁に自分
の娘を据え、果てはナポリまで自分の手中におさめるつもりではな
いかっ!?」なんてね。
裏切り・欲望・裏切り・・・邪推もいいところでした。

邪推しすぎて、自分の想像を超えた結末に感心したり。(バカバカ)

栗田さんも、河内さんもえらいしっかりしていて、ナニをやらせて
も様になる感じでそれはそれでいいんですけど、
個人的にはもう少し別な顔も見てみたいみたいな。

プロスペローの娘役の子が可愛かったですね。
泣きっ面もそそります。

観劇の帰り道、ナポリ王の息子役の彼とかつて栗田さんのモトにい
た谷垣さんの姿がダブって、思い起こされました。
河内さんが”黒の王子”なら谷垣さんは”白の王”。なんだか思い起
されて、シミジミしました。
いまさらですが、今新潟の演劇界にはいない彼がどれだけの役者だ
ったのか、私は覚えておきたいと思います。

すいませんね、引き合いに出して。

次回「ハムレット」ですか?期待しますね。

[9] テスト 2007/07/05(木) 00:26 [削除]
[公演名] テスト
ロールバック?テスト書き込み

[7] 捨猫 2007/07/02(月) 01:31 [削除]
[公演名] Wors [劇団名] 舞台屋 織田組
1行レビューに書こうと思ったら字数制限でけられてしまった。
そりゃそうだ。
感想たっぷり書くなら、こっちだよと自分に突っ込みつつ。
書きますよ。
あらすじは、面倒なので、感想のみ。
親切ではないですが、ご容赦を。

はじめてみました織田組。
万代市民会館でやる芝居では、かなり作りこんでいる口でしょうか。
セットもしっかりしているし、衣装も。
役者もしっかりしている。
自分に酔ってしまっているかもしれないという邪推をさっぴいては
いるけれども、それは役者が気づかないなら、演出がなんとかして
欲しいところ。

ここぞというときの立ち回りは作りこまれてしっかりしているけれ
ども、そうではない部分が雑。
作りこんだところがあればあるほど、雑なところほど、目に付いて
しまうものなのです。
けれども、役者の熱意、集中力は◎。
とはいえ、途中「長いぞ〜」と感じてしまったのは否めない。
脚本・演出でもう少し強弱が欲しいところ。役者の集中力は続いて
も、コチラの集中力が続かない。(個人的な意見ですよ。あくまで
(笑))

時代劇のわりに非常に見やすかった。

何か足りないとすれば・・・
そうだな、個人的には「あっ」と驚くような刺激が欲しい。

あまり具体的ではないですね。
ご勘弁。


[6] じゃじゃ馬 2007/07/01(日) 12:24 [削除]
[公演名] 黄金狂時代 [劇団名] 中央ヤマモダン
 ほとぼりもさめた頃なので振り返ってみます。
 まず感想ですが十分面白かったように思います。ただ以前と比べ
たりしてしまうとやや慣れてしまったところがあると思います。統
一感のなさも気になるところでした。
 台本を考えると笑わせる側として書いているものと笑う側として
書いているものが混在しているように思います。そこでいまいち統
一感のなさを感じたのかもしれません。私としては作家三人以上と
いうのは統一感が薄れる原因でないかと思っています。書ける人が
多いことはうらやましい限りですが、そうなると演出なり全体的な
構成でもっとまとめる必要があるのではないかという感想を持ちま
した。ただこういったヤマモダンの多様性が支持されている面もあ
るのかもしれません。そこはヤマモダンがどう考えてこれからやっ
ていくのかそれ次第なのでしょう。それを観にいく人がどう判断し
てまた観にいくのかもう観にいかないのか決めるだけのことかと思
います。
 最後に、私が一番好きだったのはオープニング映像でした。そし
て、今回は若干きびしめの感想でしたがまた観にいくことになると
思います。


[5] オトアン 2007/06/24(日) 22:51 [削除]
[公演名] ここで(略) [劇団名] 劇団カタコンベ
[3]訂正追加。
×「無対称」 ○「無対象」 です。おはずかし。
ついでに、靴職人の話で、画廊になる前のブティックfull moonで扱
っていた手作り靴メーカー「shoe making is my life そのみつ」のこ
とを思いました。

[4] オトアン 2007/06/24(日) 21:16 [削除]
[公演名] ここで〜(略) [劇団名] 劇団カタコンベ
オトアンミステイク。[3]少し抜けました。
別次元にいるようだが に続き、
後半で喫茶店で珈琲を飲む老人の姿が報告されており、ちゃんとこ
ちら側に(生きて)いるということを意識させられる。

を挿入してくださいませ。

[3] オトアン 2007/06/24(日) 20:25 [削除]
[公演名] ここで「ふん」とか言ったってさ そんなの自分の中で
もしっくりこないし・・・だからまあ・・・「うん」って言うための
理由を 結構マジで探してるんじゃないかなぁ ホントは何も言わ
ないのが正解なんだって知ってて・・・だよマジ・・・マジで・・・ 
でも こういうの そんなに悪くないと思うのよ ははは [劇団
名] 劇団カタコンベ
 冒頭、下手奥からゆっくり「老人」(五十嵐幸司)が登場する。
その佇まい。無理に老けた衣装やメイク、台詞回しをなくして表現
ができることのよい証左だ。老人は年齢以上に若いことを、年をと
るほど実感するのだが、一見他人行儀的なポライトさも含め、85歳
という年齢設定に違和感がない。五十嵐の(いつもは眼鏡の奥にあ
る)つぶらな、しかし妙に熱のある眼がいい。時に深い諦観を示し、
孫娘たちには優しく微笑む。戦争と旧友の手紙のエピソードが深み
を醸し出しながらも、そこに拘らない作劇。
 しばらくして同様に下手奥から入ってくる「老人の妻」(小山由美
子)。部屋に入るとモードが切り替わるのだが、登退場があたかも能
の橋掛りのようである。彼女はそこにはいても肉体の重さを持たな
い。「幽霊」は出てこない、という座長の言葉を基にすれば、老人に
とって、既に世を去った妻は、そこにいるのだ。2人のシーンに時
間はもはや意味を持たない。小山の、初期一発屋制作としてのスー
ツ姿はきりっと美しかった。その後舞台で見た姿には怖さを感じた。
鬼気迫る表情、そしてもう一方で張り詰めた神経の危うさのような
ものがあった。今回はそれらの印象が合わさって、円熟した感があ
る。
 孫娘(妹)はAPRICOT、OriginalcoloRなどでの舞台が記憶に残る
今井美沙子、無理なく等身大の高校生を現出。友人が派手になり離
れていく、年長者から見ればよくあることだが、当事者にとっては
核戦争や環境破壊などよりずっとリアルで深刻な問題。孫娘(姉)ほ
しのゆきえは、コンビニのバイトをしながら小説家を夢見る20代
後半、外面はいいが家では何もしない読書家。ひょっとしたら今ま
でカタコンベでの役柄で最も彼女にとって無理のない姿か。家での
お姉さんってこうなんだろうな、いないけど。五十路で夫が出て行
った後はケーキ屋・不動産屋などを掛け持ちし女手一つで意地でも
家族に不自由させないよう頑張る母・N氏友恵。終盤にフラストレ
ーションが爆発する姿と、ぶちまけた後のすっきり感。この三人は
役名が自分の名。そしてゆきえのバイト仲間彰子(外山祥子)は、男
性より女性に惹かれるという自分が世間とはずれていることを認識
しつつ自然にそこにいる。キャストはあて書きというが、本人の姿
の投影ではなく、その人(身体・精神)を通してよりよく表現できる
役ということだろう。
 実生活のように省略された会話、胸式呼吸の呟く台詞。ただし現
実の再現ではない。演劇的な計算や冒険がきちんとある。舞台はス
ケルトンな印象で作られて(笑)いる。見えないはずのものが、観客
にも見える。設定されている家庭は祖母と父を欠く女性中心の家庭
だがごく自然でどこにもありそうで、実はすべての家庭はどこか特
殊でそれが「普通」なのだと感じさせる。「食べる」「飲む」という
行為が実物で行われるのが特徴的で、そこに無対称では描けない現
実味がある。気づくと老人(と妻)のみが飲食しないので、別次元に
いるようだが、ゆきえが、別れた彼氏の子を産む決意を、家族に受
け入れられる終わり方は暖かい。死んでいく者がいて、生まれる者
がいる。いのちはこうして繋がっていくことを思わせる。あ、BGM
がよかった。


[2] オトアン 2007/06/18(月) 11:33 [削除]
[公演名] 黄金狂時代 [劇団名] 中央ヤマモダン
 中央ヤマモダンは、同時代感覚を基盤としている。自分たちの
周囲5mというか、ごく身近で共感可能な、いわば仲間内で通用す
る感覚をネタにしている点で確信犯だ。特に観る者を限定するとい
うのではないが、見てすんなり理解できない人がいてもいい、とい
うこと。このスタンスは劇団の多くとも通じるものがある。で、自
分などはかろうじて?まだ笑える年代なのかな。やはり学生のにほ
ひが強い。ちょいインテリゲンちゃんで、ちょいポライトで控えめ、
でもどこかナメてて。この学生ノリっぽさ、そして洗練されなさが
CYMの持ち味だろう。ゆえにそれを否定してしまうと存在意義か
ら考える必要がでてくる。上手くなることを期待しているわけでは
ないからね(少なくともおいらは)。ただ、内輪だけわかればそれで
よいというわけでもなかろう。どこまで客層の拡大を考えるか。大
衆に迎合することなく、しかも客を限定しないということの難しさ。
 ネタバレ。
 「黄金狂時代」というメインタイトルは、BGMとチャプリンへの
言及がちらっとあったに留まり、直接の関連はない。「オーバースト
リートくん」での「いまを生きる」もそうだが、今回のオープニン
グ『ショーシャンク』、エンディング『空に』もやはり映画がベース。
しかしマニアックでないそこそこの映画(洋画)好きっぽく、そこら
へん共感する。「更正した」終身囚とピッキングの達人が、なんだか
んだで脱獄しそこない続ける。ついつい立ち位置や台詞や衣装が人
と被ってしまう『被り山さん』と隣人カブラ・J(こてこて)。いか
にものシチュエーションを作りながら、したり顔で解説をする学者
とノイローゼ気味の「受験生」を演じ分ける原氏(これは少しシュー
ルでどんどん前のシーンを覆して行くやり方が面白かった。手の内
が見えてくるとだれるけど)。オフィスでデスクワークする女性(江
尻女史)の捨てた紙コップから『個人情報漏洩中』を指摘する清掃職
員山本氏(一応落ちがつけてある)。『機密諜報部隊B』のテストとし
て、グダグダなちょっかいを受けてはスリッパでひたすら突っ込む
新人エージェント原氏(これまた王道の突っ込みパターン)。音声の
みであるラジオの裏、スタジオでの醜いおんなの争い『ビートコー
スター』。「そっ」ばかり言う『大作家先生』の言動を逐一、七五調
でナレーションする山本氏(これも面白かったな)。キャラクターで
持っている部分が大きく、その人の佇まいで笑える。ただ、今回は
いずれもどこかでありそうな設定が多くシュールさは薄い、そうい
う意味でパンチに欠ける面は否めない。そして落ちが少し弱い。ま
た爆笑を誘うというよりはついニヤッ、クスッという笑いが多い。
ただ見終わった感じは爽やかで、楽しい時間だった。イノベーティ
ヴな鋭さではないが、ちょこっと感覚をくすぐられる、こういう笑
いも悪くない。中央ヤマモダンが目指すものはまだ他にあるように
思うけれど。
 開演前の注意とかヤマモダンらしく、このいなたさはなくしてほ
しくない。またプログラムにないいわばシークレット・トラックが
楽しい。タイトル映像の『アハ体験』は出来がいい。無人での『マ
ック』は一発ネタだがわけわからなさが捨てがたい。小田島女史が
車椅子で現れ写真が晒される、楽屋落ち的なネタ。山本氏のグダグ
ダマジック。そして再現ではなく別角度から微妙にアレンジされた
『メドレー』。これらがあってこその各ネタである。が、それも含め
て「想定の範囲内」であることは多少物足りない。理解して笑って
くれる客層だけでなく、一種暴力的にでも笑いをかっさらうような
強度もあっていいかな。さてどこへ行くのかヤマモダン。


**************************************
**********************データ紛失******
********************2007/2/11〜6/17***
**************************************


[750] オトアン 2007/02/10(土) 11:11 [削除]
[公演名] 彼女に与えるべきではないエサのいくつか [劇団名]
劇団カタコンベ 習作公演
「習作公演」と銘打たれているけれど、とてもしっかりした内容
で何のエクスキューズもいらない。台詞その他をほとんどいじらな
いのに、役者が替わると新しい芝居になるということ、そしてさら
にその役者が(自ら)変わると、より濃くなっていくということ、挑
戦的な再演にはそういう発見がある。今回の2人にとって、前回の
公演でいい意味でも反面でも学んだことは大きかったと思う。前回
のほしのゆきえ・麦森あいえVer.は鮮烈な印象で自分にとっても大
切な経験のひとつになっている。それから2カ月。牧田夏姫・小林
八重子によるVersion、よかった。この前の2人も俺今でもすごく
好きだぞ。でも今度の2人もすごく好きだぞ。今までの2人2人2
人…俺はみんな好きだぞ。ってヤマちゃんか!
 いろいろな意味で、今の戸中井三太が同じ芝居を書いたら、また
違うものになっていたと思う。でもそれはまた、その時だから生ま
れただけの必然があって、あえて大幅に手を入れない決断はある意
味挑戦だろう。自分だって、短い文章ですらつい手を入れたくなる
のだが、そうすることで得られるものと失うものがあることを知っ
ている。この作品は(すべてそうだろうが)、生まれた時の様々なナ
ニを反映しているわけで、言葉が過剰。というか丹念に丁寧に心情
を追えるようになっている。例えば、ネタバレだけれど明子の視る
「砂時計の森」で、粒が大きすぎてすぐに落ちきっちゃった砂時計
がヤマちゃんをイメージさせることなどはわかりやすいし、ひっく
り返せないことなどわざわざ言葉にしなくても演出できるのだろう。
場面以外のシーンについて、例えば佐藤さんとのことや過去の話も、
(今の戸中井三太なら大胆に刈り込むかもしれないが)きちんと言
葉で説明されている。でもだからこそ若い2人が読み込めば読み込
むほど「理解」できる芝居。同時に、理解するだけでは足りないこ
とを実感するはず。役者を通して台詞が生きてくる経験を実際に重
ねていくこと、その過程に今はあるのだと思う。
 普通の会話にあえて饒舌な枕を織り交ぜた、そういう意味ではア
ンチナチュラルな芝居の台詞だが、当然そこに様々な情報があるわ
けで、小林・牧田がそれらをすっ飛ばさず丹念に辿って来たことが
わかる。台詞が多くても早くても場を流さずに、間を心もちゆっく
りとって丁寧に心情を追っている。長いモノローグのシーンは、し
んどいだろうが役とシンクロすることにおいては比較的やりやすい。
2人はここで実にストレートな心情を示している。実年齢より10
歳ほど上の設定だろうが、背伸びせず自分の身体感覚でやっている
ことは(実際それしかないのだが)好感が持てる。幼くなり過ぎてい
ないのは女性だからこそ。男ではそうはいかない。チェルフィッチ
ュ岡田利規の言葉だが、日常の立居振舞いには無意識に様々な「ノ
イズ」が入る。舞台上ではそれを削ぎ落とすことですっきりした「演
技」にしてしまうことが多い。逆に言えば日常の行為はそれで十分
に過剰なのだ。台詞と心情を1対1対応させてしまうと、とてもつ
まらなくなる。その「ノイズ」の入れ具合が難しいのだと思う。今
回見ていて、微妙ながら発語と仕草のズレというか、すっきりさせ
過ぎない部分が役者に見られて、そこが味になっている。まだ頭で
考えてやっているところもあって(例えばすっと服の裾を直してし
まうところとか、いやそれも立派なのだが)、身体を固めずもっと開
放してやっていいと感じる。まだまだイける。

[749] オトアン 2007/02/04(日) 16:48 [削除]
[公演名] 砂の妖精 [劇団名] APRICOT
APRICOTがやっていることは、そこらの児童劇団とは違うとい
うことがはっきりしてきた。そしてその意義の大きさはひょっとし
たら10年20年単位で見えてくるもので、改めて振り返ったときに
その重要度に慄然とするのだと思う。だからこそ今経験しておくべ
きだと声を上げておかなければという気持ちになる。今まで取り上
げられてきた作品は、必ずしも「お子様」ものではない。むしろ、
かなりマイナであったり、難しかったりするものを、なぜ?という
チョイスながらやってみればしっかりしたものに仕上がっている。
そして、普通の芝居でなく歌い踊るミュージカルの要素が強く、よ
りハードルが高い。
今回の作品に関して言えば、お話の中から部分的にトリミングされ
た50分の内容で、説明をなるべく省くためにいろいろな工夫がさ
れている。しかしいきなり見て十分に子どもが把握できるかといえ
ば難しいだろう。そして話としてのまとまりや面白さなどに難点も
ある。それでも、細かいところはわからなくても、子どもたちはお
話に引き込まれるし大人たちはその達者ぶりに唸る。結構シビアな
目で見ていても(ワシとかね)、あれ、これってプロに要求するレベ
ルのことじゃん、とふと気づく。客いじりとか、自分はあえていら
ないと思うのだけど、これだけちゃんとやれるってすごいなリポー
ター。最前列の子どもたちを巻き込みながら、特に冒頭のモブでは
メンバーたちのサービス精神というかエンタテイナーとしての気持
ちが伝わってくる。印象的なのは、モブシーンでごちゃごちゃしが
ちなひとりひとりが、ちゃんと顔を持った自分のキャラクタを作っ
ていて、その他大勢ではないこと。それでいて、無秩序に見えなが
ら調和があってうざったくならない。自分を表現しながら人を押し
のけない。「兵士」ひとりひとりにキャラを示す名がついているよう
に、各自が自分のキャラクタを自分で考えて作り上げていることが
素晴らしい。ダブルキャストは、それぞれ見た目も性格も異なる別
バージョンになっている。これも誰かの代わりや真似でない自分だ
けのものになっている。年長者のダンスや歌唱はやはり質が高いし、
特に目を引くうまさや可愛らしさで印象的なメンバーがちらほらい
る。おそらく様々な形で大きく羽ばたく子がいるだろう。しかしそ
れはともかく、今このメンバーが笑って泣いて作り上げてきたこの
過程そのものが何とも貴重でいとおしくて輝いていることを傍から
見ていても思わされる。これを見ていると、新潟の子どもたちには
まだこんなに可能性があるのだということを感じてちょっと安心す
る。
[747] 743 2007/01/23(火) 21:30 [削除]
[公演名] 第42回関東高等学校演劇研究大会(新潟会場)
関東高校大会運営さま
丁寧なご説明ありがとうございます。私の方に誤解をまねく書き方
がありましたことをお詫びします。

高校生の若さあふれる大会で、大変楽しませていただきました。今
後も高校演劇がますます発展し、またそのことで新潟の演劇界も活
性化することを祈っております。

[746] 関東高校大会運営より 2007/01/23(火) 13:31 [削除]
[公演名] 第42回関東高等学校演劇研究大会(新潟会場)
 いくつか高校演劇の大会に関して、誤解があるようですので、
この場を借りて説明しておきたいと思います。
 文章の趣旨から言えば、多目的掲示板に掲載すべき事柄ですが、
こちらに書き込んだ方が、より分かり易いと思いますので、こちら
に書き込みさせてもらいます。

@リハ時間ですが、各校1時間ではな  く、90分を確保してお
ります。
A確かに照明のつり込み等は、プロの方 に依頼しておりますが、
照明プラン・ 操作等は、全て各校の生徒が独自に行 っておりま
す。
B蓄光は、本番前に張り、終わったら剥 がすことになっています。
 (ただし、確認したところ、リハ時に  剥がし忘れた学校が、
あったようで  す。お見苦しく、すみませんでし   た。)

 以上、大会運営より補足説明をしておきたいと思います。
 また、その他においては、ご指摘もっともなことも多く、今後の
大会運営の参考にさせていただきたいと思います。
 ありがとうございました。
 

[743] すて 2007/01/14(日) 00:27 [削除]
[公演名] 第42回関東高等学校演劇研究大会(新潟会場)
もう1週間もたってしまいましたが……。行ってみたました、と
いうことで。

1日目、午後から行ってみたら、なかなか楽しめたので、2日目は
朝から観劇。入場無料なのに、電車が動かずバス代が…


全体を通して。
関東大会ということで、この大会以前に2〜3回勝ち抜いてきてる
学校ばかりなので、見ごたえは充分。会場はりゅーとぴあ「劇場」
だし、大きな会場なので高校演劇特有の、照明が思いどうりになら
ないということもなく、美しく仕上がっていました。

やはり、何がすごいって、前の学校が終わって、20分間でバラシ
→次の学校が仕込み、という時間のなさ。ちなみに、前日のテクリ
ハ等舞台を使って練習できるのは各校1時間。よくやるなぁとつく
づく感じます。

装置はパネル+中道具(具体で部屋のセットのようなもの)などを
用いた学校が多く、後は素舞台、また、舞台が広すぎるので中幕を
使ってるところもありました。人数+経済力があるところは前者、
ないところは後者、ですかね。現実は厳しい。

照明はプロがつくので、やはり見事。しかし、蓄光はテクリハの時
に張り、剥がさないので舞台上は星がキラキラ。サスにあわせる事
の難しいの何の。自分の番でない時にはビニテで隠したりするもん
なんですが、そこまで気を使っていなかった模様。

音響はやはり、機材がないので、MD編集だけであったりするため、
物足りない感じか。しかし、これは仕方ない…

現代劇が多く、衣装はほとんど既成。これもまぁ仕方ないが、既成
を使うのなら、妥協しないで探す手間を惜しむべきではない気がし
ます。もっとふさわしいものがあったかもしれない、と思わせる衣
装が多かった。特に、家族を扱った作品で、父母を演じる場合、ベ
タなものでいけば確かにわかりやすいが、実際の家族は毎日そんな
服装なのか?お父さんはスーツ、休日はポロシャツ、というベタな
発想を覆してもよかったかもしれない。そうすることで、より一人
ひとりのキャラクターに個性を持たせることができるはず。

内容に関して。よく言われる、『高校演劇っぽいもの』は少なかった
ように思われます。自己満足で終わってしまうようなものは。既成
も多かったようですし。しかし、既成は諸刃の刃。高校生が高校生
を演じるのはいいけれど、やはり、佃典彦(『ぬけがら』などの作者)
のような作品は難しいか…。『もろびとこぞりて』や『朝日のような
夕日をつれて』のような作品と同じく、ベケットの『ゴドーを待ち
ながら』をベースにした作品。部員に女子がおらず、部長(♂)が
女役を大健闘でしたが、全体的にはいまいち、分かり辛い。もとも
と、わかりやすい本ではないのだと思うけれど……。感情のこもっ
てない台詞の気持ち悪さを再確認。その点では、創作は自分たちの”
考え”を表せるものだから、やりやすいけど、プロではないので脚
本上のアラが目立つ。既成か創作かは、そこらへんのさじ具合なん
だろうとは思いますが。

その点、『塩原町長選挙』は台本の選び方がうまかった。作者は同じ
高校生だが、抽象・具体のバランスが絶妙で、なかなかよい台本だ
と感じた。それを男子高生の勢いのあるテンポで演じ、また笑わせ
るべきところは笑わせ、きかせるところはきかせるという、緩急の
ついた流れは飽きさせない。
個人的な趣味としては、『濃縮還元』も良かったと思うが、やはり高
校演劇という枠組みの中ではやりづらいか。今後、「高校演劇」や、
「高校生らしい」という枠組みにとらわれず、むしろ高校生である
ことをいかして、「高校生にしかできない演劇」というジャンルを作
っていって欲しいものである。


[742] オトアン 2007/01/09(火) 16:39 [削除]
[公演名] 第42回関東高等学校演劇研究大会(新潟会場) その2
続き。

F「桜井家の掟」群馬・新島学園高校
高校演劇ではすでにお馴染みの名作だが、今まで数ある上演の中で
最高の出来とは言えない。役者も決して上手いわけではない。キメ
で正面を向くところとかちょいダサ。ただ大切な要素である、役者
が気取らずなりふり構わないテンションがあるため、リリカルな部
分が光る。台本の力が大きいが、ちゃんとやるとこれだけのものは
できるということ。優秀賞。
G「塩原町長選挙」栃木・栃木高校
ほぼ素舞台で、しかし男子たちがこれだけ動くと充分空間が活用さ
れる。嗚呼男子校。塩の町として800年、塩のみを調味料としてき
た人口50人の山形県塩原町で、町長の死に伴い長男・次男がそれ
ぞれ「しょうゆ」「ソース」を町興しの中心として対立、選挙、そし
て割れる町。それだけの言ってみればおバカな話なのだが、この町
にかける男たちそれぞれの熱い思いが、笑いの中にしっかり浮かび
上がってくる。「をとこ」の泣ける芝居。1年生の多いキャストがな
かなかいい。町長の妻も男子だったがよかった。最優秀賞で全国へ。
H「ヘレン・ケラーをめぐって」長野・長野清泉女学院高校
商業演劇でもよく見る、例の「WATER!」シーンは、本水を使用し
てなかなかよかった。前半特にヘレンとアニーの格闘を無言で見せ
るシーンは迫力。ただずっと続くときつい。アニーの過去を見せる
ことで、ヘレンだけでなくアニーの成長物語にしようという意図は
わかるし、それぞれ熱演だったが、まだ自分たちの頭で考えている
部分が大きく、理の勝った舞台に感じる。役者自身が自分のことと
して感じていない部分があるので、話としての感動が、見ている自
分の中での共感にはならなかった。
I「コックと窓ふきとねこのいない時間」群馬・前橋南高校
4月に部員(部長)1人で、それが知り合いを集めながらこうして関
東に出ていることが何よりすごい。女役の部長を含め、3人の男優
は素人っぽいけれど味があっていい。ただ佃典彦の戯曲はよほどう
まくやってようやくそこはかとない感動を浮かばせる、難しい芝居
で、正直高校生(や大学生)の上演で面白いと思ったことがあまりな
い。別役実にも通じるシュールさは年輪を重ねるともっとよく描け
るものだろう。
J「少女1/4」埼玉・深谷第一高校
優等生だった少女が厳しく勉強させる母に反発して家を出る。公園
で出会った家出少女たちと行動をともにし、狂言誘拐で母親から金
を取ろうとするが、成り行きで母親を金属バットで撲殺。よくして
くれた中年の労務者に罪をきせ逃げるが、やがて悲劇的結末に。実
際ありそうな話だが、細かいディテールで疑問が残る。少女たちの
事情をモノローグで語らせるなどいかにもの手法、少女たちの会話
など生徒創作らしさが見える。切実なメッセージというが、「私は悪
くない」ので追い詰める親(大人)が悪い、っていうのが結論じゃな
いでしょ?じゃあ何を伝えたいのかが今一つ。

いいものを見ることも、逆に他山の石から学ぶことも、いずれにし
ても得難い機会だ。地元役員以外の高校生が少なかったように思う
けれど、もったいないな。


[741] オトアン 2007/01/09(火) 16:38 [削除]
[公演名] 第42回関東高等学校演劇研究大会(新潟会場)
高校演劇関東ブロックは北・南2会場に分かれる激戦区。北は5
県で回すので、2001年から5年ぶりに新潟はりゅーとぴあで開催。
1校が全国へという狭き門。久しぶりに2日で11校を見たが、常連・
新顔それぞれ持ち味があり、レベルが高く金を取れそうなもの、こ
れは高校生にしかできないというものなど、改めて面白さを感じた。
いろんな制約があっても、それを超えることができるからこそ演劇
はいいんだよね。
@「例えばジャニスのソウルフルナンバー」新潟・三条東高校
あまりぱっとしない高校生が、自分の悩みを投影した夢を見ながら、
現実の世界では通じ合えそうな女の子と恐る恐る触れ合っていく。
自分とは何か、何のために生きるか、こうした自分探し的な芝居は
多少時代の古さを感じるし、女子へのアプローチなども現在の世情
とは違いがあるけれど、こういう「青い」話はやはり(特に過ぎて
しまった者の)胸を打つ。70年前半くらいまでのアメリカンナンバ
ーはベトナム戦争時のヒッピー運動を背景にするが、時代を経てそ
れに感応する若者の姿に自分を重ねられると、少し生硬さを感じる
言葉のやり取りも、少し垢抜けないギャグ的所作も、好意的に受け
止めることができる。県勢久々の優秀賞。
A「ナユタ」栃木・作新学院高校
母を亡くした一家に父が継母候補の「お試し期間」として連れて来
たナユタは、ベトナム女性。将棋の相手として快く迎える難聴気味
の祖父、言葉や行動の突飛さに戸惑いながら馴染んでいく弟、頑な
に拒みながら少しづつ心開く姉。ナユタの明るさの背後にベトナム
戦争の影があり、苦しむ家族を救うため身を売っていた過去を、再
婚に反対の叔母が興信所を通じて明らかにする。受け入れるのか、
拒むのか。見事な家のセット、高校生だけでなく大人の心情もきち
んと描く顧問・大垣ヤスシの筆、ハイテンションのギャグを嫌味な
くでき、しかもしっかり泣かせられる役者。そつがない。多分もっ
とどろどろさせられるのを敢えて避けているのだが、突っ込んだら
もっと深いものになるはず。優秀賞。
B「全校ワックス」新潟・新潟中央高校
全校ワックスでたまたま同じ班に名簿順の「偶然」で集まった5人。
転校生・大宅の(実は作っている)アニメ声にキレそうな剣道部・飯
野、さりげなくみんなの橋渡し的な演劇部・上田、ぼーっとしてる
ようで実は成績上位の江川、リーダーシップを発揮する実は成績下
位の陸上部・相川。作業を進めながら繰り広げられる会話の中で、
自然にそれぞれの事情や思いが明かされて行く、よくできた会話劇。
アンサンブルのよさを見せるためには、もう少しテンションをあげ
た元気な女子高生を等身大で演じた方がよい。見た目で5人がよく
区別でき、セットも工夫されていた。
C「めぐるめぐる梶の葉たち」長野・長野西高校
生徒創作で、戦時色強まる中、軍需奉仕に訓練、やがて校舎が接収
されていく当時の自校の姿を、当時の女学生の視点から描いていく
力作。教育県長野らしく重く固い芝居で、真摯さは素晴らしい。戦
争そのものより、自分たちの生活が失われていく悲しみが前面に出
ていた。戦争についてはテーマではないのだろうが、もう一つ踏み
込んでいいし、現代の高校生がこの時代をどう受け止めているのか
について、最後の現在の場面でしっかり描いてほしかった。奇麗事
でなくていい、本音を。
D「父さんといっしょの地中海」新潟・新潟商業高校
父がふとした折に見せる異様な言動、やがてアルツハイマーである
ことがわかる。自分との思い出も忘れて行く父にショックを隠せな
い娘、夫の面倒を見ながら家庭を支えていかなければならない事実
を淡々と受け止めながら、なお明るい面を見ようとする母。それぞ
れの心情が、無理することなく自分たちの身の丈に合わせ描かれる。
発声など基本的な力の不足はあるが、小さいハコならもっと届く芝
居だろう。この経験を今後に生かしてほしい。
E「濃縮還元〜彼女はなぜ化粧をするのか〜」埼玉・筑波大付属坂
戸高校
実はちゃんと理解していない気がするが、それでも自分的には一押
し。一見ナンセンスな切れ切れのイメージ的シーンの集成の中で次
第に見えてくる、強い焦燥感と疎外感、地雷撤去をネタにした鋭い
世相の風刺。照明の綺麗さ、音楽のセンス。役者もうまい。ストー
リーものでないこういう芝居は、なかなか理解されたり共感された
りしにくいが、磨いて全国に持って行ったらまた評価も変わったと
思う。昨年東京の八王子東といい、こういうものを生徒が作ってく
るのがやはり首都圏のセンス


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