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例の掲示板「1ページレビュー」2008年記録
[533] オトアン 2008/12/29(月) 10:19 [削除]
[公演名] リレイヤーV [劇団名] 劇団ミネルヴァの梟
日本の未来は(うぉううぉううぉううぉう)、教育にかかっている
と言ってよいでしょう。教員の質が問題にされています。どうしよ
ーもない教員は除くべきですが、ただ昔はもっととんでもない教員
がいたのに(多分)、私たちは立派に育ってきたじゃあーりませんか。
教員のよしあしは、単に知識量や教授技能によるものではないし、
押し付けがましい「情熱」でもないと思います。教師は自分の生きて
いる姿そのものしか伝えられないし、何かを知ること、探求するこ
との楽しさを、身をもって示せることがよい教員の資質ではないで
しょうか。ミネルヴァの梟に関わってきた教員の皆さんが現場でど
んな教師であるか私は存じ上げないですが、忙しい中で目を輝かせ
て芝居の稽古に駆けつけていく先生方の姿は、「大人になるって結構
楽しそう」という無言の教育になっているはずです。
さて、演目が「リレイヤーV」と知ってちらっと不安が横切ったの
ですが、実際に舞台を見て、思ったよりちゃんとできていることを
評価する一方、やはり危惧していた点が気になったことも事実。劇
団への関わりは団員も客もそれぞれ浅深があるので、みなが共有で
きる感興ではない。ちょうど10周年の区切りであること、まさに
第三舞台を見てきた世代であることなど、思い入れはよくわかるの
です。ただ、この芝居でなくてもよかったかな。この芝居をやるに
は過去公演のスライドや口上などは、まあ蛇足。むしろいらないと
思います。Time to say goodbyeなどかかると、ファイナル?など
と考えてしまいます。
本来芝居(戯曲)はフリーで誰がやったっていいわけです。ただ、こ
の作品に関して言えば、第三舞台という集団が辿って来た道のりを
踏まえてのセルフオマージュであり、第三舞台の役者が実名で登場
するからこその意味があったのであり、その役者の姿とオーバーラ
ップするものがあるその虚実の皮膜の上に成り立っていた特別の作
品であると思うのです。劇団内で実際にあったかもしれない葛藤が、
脚色されながらも役者を通して舞台上で真実となり、それを客にひ
しひしと感じさせながらも「カット」がかかることでメタ化されて
いく、その多層構造がわかりにくくもまた魅力。ミネルヴァの梟が、
ミネルヴァの役者名で上演することは正しいのです。ただ、役者そ
れぞれの立場が芝居のそれとはかなり異なっているので、あまりリ
アルさや切実さがない。本当にこの人はこう思っているかも知れな
い、という緊張感が、役者にも観ている者にもあったオリジナルと
の違いです。ミネルヴァでこういうことはイメージできない。商業
演劇、プロ劇団である第三舞台と、アマチュアで営利を考えない、
常設でない劇団というかユニットであるミネルヴァとは、同じ10
年でも葛藤の内容や質が決定的に違う。もちろん、そんなことは百
も承知の上でやっていることだし、いきさつを知らずにひとつの戯
曲として見れば十分成立するのですが、余計な情報があるとついそ
う感じてしまうのです。
オクラ入りしてしまった幻の芝居「リレイヤー」、その内容は役者
の実名を使って劇団が変わっていき崩壊していく姿を描くもの。そ
れを演じる役者たちが、虚構の中に映し出される自分たちの写し身
と、それを演じている自分たちのリアルとの狭間で葛藤する。そし
て劇団が崩壊した後、ひとり立ちして旅回りをしているかつての看
板役者(射場政人)を呼び、学習塾をやっているかつての作・演出(名
塚武史)、かつての制作(大島敦子)らを巻き込んでもう一度芝居をや
ろうとする元団員(山本修司)。戻ってくることを待ちながら、元団
員と新人(渡辺敦子)が「リレイヤー」の読み合わせをする。このさ
まざまな次元が入り混じることで、あえて時間軸を狂わせわかりに
くくしているのだけれど、流石にメンバーはそれなりにきちんと話
の流れを把握しているようだ。台詞に力があり、しっかりと発語さ
れている(射場政人は2枚目の台詞回しがしっかりできていた)。願
わくは、アタマだけでなくカラダもフルに使ってほしい。立ってい
る姿のナチュラルさ、身体の利く感じは山本修司と小熊好弘くらい。
ぜひ舞台に立つ身体性の獲得を目指してほしい。運動能力ではなく、
役を生きるための身体。ラストは胸に迫る。もう少し盛り上げても
いいかな。細かいことだけれど、抽象舞台のよさを出すためには下
手平台の上のテーブルクロス的なものはない方がいい。また客席を
いじることも楽しい芝居の要素ではあるけれど、まずは舞台上で芝
居がきっちり成立することが大切で、それが不十分だととってつけ
たような付け足しの部分になってしまう。
季節柄、場所の問題、いろいろあるだろうけれど、せっかくの公
演、勤務先の高校生たちを無理やりでも動員して見せつけるくらい
の自信を持ってほしい。しかし、10年やってきたこと、新しく加わ
ってくる人がいること、存在意義は大きい。また次を目指してくだ
さい。
[532] オトアン 2008/12/24(水) 00:45 [削除]
[公演名] サンタ ステップ カフェ [劇団名] 劇団第二黎明期
何とも素敵なプレゼントをもうひとついただいた。ありがたし。
第二黎明期と五十嵐劇場、2つの劇団の女優たちが、違和感なく同
じ空間に在る。
西堀DOMOが、暖かいリビングになっている。実際ヒーターにブ
ランケットにカイロにと気配り十分だけれど、ソファ、クッション
(トナカイ柄)、ラグ(これもトナカイあり)に壁掛け、カンディンス
キーのポスター、実によく出来たセット。テーブルにはクリスマス
カラーのクロス、そして大きなツリー。いかにもクリスマスらしい
セットだが、音楽が洋楽のスカバージョンで楽しい。クリスマスソ
ングでなくてよかった。客入れでLoserにCreepだもの。自分、び
しびし来ましたよ。”I’m a loser baby, so why don’t you kill
me” ”But I’m a creep,I’m a weirdo, what the hell am I doing
here” くぅ、泣けるで。さらにはジーザス&メリーチェインが嬉
しかった。高揚。
芝居の中で、説明的にならずに設定や人間関係が解きほぐされて
見えてくる台本はやはり巧い。アッパーで奇矯な台詞が、むしろだ
からこそリアルに届く。女性だけの下宿屋を営み、満たされて暮ら
すカイさん(高橋景子…色気ある女性から落ち着いた年齢感まで何
でもなれる力量)。一見派手で身体訓練シーンなどを織り込む、売れ
ない女優ツルギ(山崎真波…役柄もあるけれど、年々美しくなってい
る)。ウォータービジネスらしい紫ニットミニワンピに柄ストとケバ
そうな登場ながら部屋着がオバさんぽい、地球環境に目覚めたNGO
女、源氏名アキナことリューコ(安達修子…この面子の中にいると、
彼女の喜劇女優としての才が開く)。インテリで少しシビアな良家の
子女ぽい図書館司書ヒメコ(いまいまいこ…久しぶりに舞台で見た
が、変わらぬ初々しさに加え余裕が増している)。クリスマスパーテ
ィの用意の中、カイさんの元夫から、20年前別れたきりの娘が、再
婚話のせいで家出したという電話。やがてこの部屋を訪れる、クリ
スマスカラーの少女(増子綾・・・幼くかわいい年齢不詳)を、ツルギと
リューコは娘ではと考えるが、本人はサンタと名乗り、願いを叶え
るためにきたという。結局、正体が明かされることはないが、終始
その態度は変わらない。カイさんは、この生活を守るためにこの家
を会社組織にしてみんながずっと一緒にいられるようにという。リ
ビングをそのままカフェに(人が来なくてもいい、人を選ぶというコ
ンセプト、手製のパン、偶然カタコンベと重なる)。そしてみなこの
提案に乗る。
壁にある掟「一、男子の持ち込みを禁ず 但し犬猫はこの限りに
あらず 一、金銭の貸し借りを禁ず ただし賭金はこの限りにあら
ず 一、うがい手洗いを励行すべし 一、宴会はにぎやかに執り行
うべきこと」がすべて芝居の中で関わってくるところが巧いなあ。
さて、妙齢の、魅力的な女性たちがいて、男子禁制のこの生活を守
りたいということは、考えてみると続くのかなあと思う。勿論結婚
その他で出て行く可能性は否定されていないのだけれど、ただ女性
たちだけの暮らしの楽しさというものは確かにあると思う。帰って
来て楽な部屋着になるリューコ、ルームソックスを履くヒメコなど、
家庭に入らないと見えて来ない女性の生態が描かれ、視線の細やか
さが流石。この楽な関係は一種のユートピアだ。ローリー登場前の
「若草物語」みたい。見ていて、壊したくないと思う。どうなるか
なんてわからないのだけれど、せめて夢を見ていたい。これが男だ
ったら侘びしいけれどね。
芝居は、その場限りで消えて行く。同じ役者を集めても同じもの
は2度見れない。でもだからこそ、いつまでも胸に残る宝物。また
ひとつ増えました。オブリガード、ダンケシェーン。
[531] オトアン 2008/12/24(水) 00:37 [削除]
[公演名] 人が来ないホテルの話 [劇団名] 劇団カタコンベ
素敵なプレゼントひとついただきました。ありがとう、カタコ
ンベ。
もうこれで終わってもいいくらい。でも蛇足でネタバレ含みつつ。
前回からしばしの時が経ち、マダガスカル行きなどのアレがナニし
た後の話。都会の片隅にあるらしい瀟洒な?しかし人があまり来な
いホテル(セットがスタイリッシュで素晴らしい)。経営再建のため
知恵を貸すよう、常連のある人(あのヒト!)から依頼を受けやってき
た中野春男(戸中井三太)。しかし、電気ヤーさん(笑)内藤啓介(イカ
ラシ・コージ)と川崎舞(愛恵・小林八重子のW)のカップルがやって
来てみると、中野は着いた次の早朝出かけたままという。ホテルを
切り盛りしている諸橋和美(熊倉静)はまだ幼さが見える天然のほほ
んとした感じが可愛らしいが、一緒にやっていた母親が亡くなって
からは高校教師だった父・進一(ジャンボ佐々木)が職を辞して一緒
に経営している。しかし客足は遠のいている。内藤と舞は手製のパ
ンや自家焙煎珈琲、料理などの美点に触れ、父娘の人柄にもほださ
れ、趣味の電気関係リフォームなど協力を申し出る。また、例によ
って詐欺のためやって来たカトウ(高田信)は、2人と出くわして騙
すことができず、また進一の教え子であったこともあり19歳とい
う年齢(ほほう、なるほど)と本名(!)が明かされ、一緒に手伝う
ことになる。やがて帰ってきた中野は、全国の鄙びた宿を回ってネ
ットワークを作るという計画を実行してきた旨を告げ、それが和美
のアイディアであると言うのだが本人には覚えがない。一景、三景、
五景、最後に七景と数回挿入される、中野到着の夜の光景は、どう
やら和美の母(の霊?)だったらしいことは、台詞では語られないが
進一が見せた写真で暗示される。台本にはさらに詳しいト書きがあ
る。ストーリィとして説明すればこれだけのことなのだが、芝居と
いうものはそれだけでは勿論ない。まるであて書きしたかのように
はまっている役者の身体から醸し出される空気感、匂い、体温。台
詞と間。視線の使い方。リコーダーにウクレレの長閑な音楽、絶妙
なライティング、などなどの要素が絡み合って、かろみを持ちなが
ら残る芝居となる。トトロやジョジョといった固有名詞がネタに入
るのも新鮮な感じがした。あ、自由だなと。そして、やはり舞台に
登場しない「川崎さん」と「ルミちゃん」。意外性に満ちた奇矯な彼
らの性向は、ある意味好対照だし、両極端ながら似ているのかもし
れない。このシリーズの隠れたメインキャラだ。大変魅力的。
重い芝居でも、こういう楽しい芝居でも、カタコンベはストーリ
ィを追って説明していくような「演技」をしない。こういう経歴・
性格の人間をこういうシチュエーションに置いたらどう考え行動す
るか、その化学反応を見るようなそんな感覚。その時々でいろんな
色や匂いの反応がある。それはとても美しい。
単体でも芝居として成り立っているとはいえ、やはり前2作の内
容がわかっているとより楽しめると思う。今作は今までで一番ライ
トで楽しめるとはいえ、これまでの経緯を考えれば結構へヴィさも
あり、シリーズ総合してのストーリィとして見応えがある。
クリスマス色のないこの芝居が、自分にとって何よりのプレゼン
トになった。ただひとつ残念なのは、愛恵さんヴァージョンを見ら
れなかったこと。I’m sorry(私は悲しい)。またぜひ。
[529] オトアン 2008/12/21(日) 01:14 [削除]
[公演名] 大いなる遺産 [劇団名] りゅーとぴあ10周年記念ミュ
ージカル
10周年記念ということで、思い返せば開館記念ミュージカル
「シャンポーの森で眠る」も新鮮な驚きだった。それから10年、
ここりゅーとぴあで育った才能が開花した様を見ることができるエ
ポックメイキングな作品となった。今までも、有名ではあっても実
際に読んだ人は少ないような、微妙にメジャーからずれた作品の選
び方だったし、今回もなぜディケンズ?と思ったのだが、ふたを開
けてみると、ディケンズが描いた19世紀英国の、上辺は着飾り上
品な紳士淑女たちが闊歩し、その裏で底辺の凄まじい貧困があった
社会が見事に映し出されていることに感銘を受けた。長いストーリ
ーを、要所を押さえてコンパクトにまとめ、しかも大切な整理は生
かすテキストレジューム。岡本おさみの詞、宮川彬良の曲は絶望と
希望を激しく優しく描き出す。総合芸術の名にふさわしい。
白粉と香水に覆い隠された汚物と腐臭。映画「オリヴァー・ツイ
スト」でも描写された世界が、机・椅子という最小限のセットと衣
装でよく表されていた。中央部が回転する微妙に傾斜した八百屋舞
台で、かなりのスピードで回転する中、計算された動きを守りなが
らそれぞれに個性のある存在感をも示しかつ堂々たる歌唱をも見せ
る老若男女のコロス「墓場の主たち」。白塗りに隈の不気味な相貌な
がら、かつては生活し今もなおこの世に在る者たちとしての哀しさ
や愛おしさを感じさせ、各場面を現前させまた繋ぐ実に大きな部分
を担っている。これは断じてその他大勢ではない。まさに「主たち」。
そして、彼らに混じり支えられてメインキャストたちが輝く。
APRICOTやシェークスピアシリーズで育った面々が多く見られる
が、少年ピップの小柴多郎(ガンバの時はまさに少年だったのが一段
と大人っぽくなった)、少女エステラの町屋美咲(小学生の頃から光
っていたが今は風格すらある)、ともに思春期前期の初々しさから大
人になりかけの揺らぐ十代後半への成長を見せてくれる。2部の青
年ピップ傳川光留、エステラ角張真悠は、1部とテイストが異なる、
さまざまな教育や経験を積み、時を経た姿を示している。ピップの
姉の夫、善良で優しいジョー荒井和真はその地味溢れるキャラクタ
を遺憾なく発揮し心を打つ。怨恨の暗い炎を燃やすミス・ハヴィシ
ャムという意外なキャスティングの山賀晴代は、しかし彼女にしか
できない役の作り方で、恐ろしくも哀しい老婦人を、低い抑えた発
声で見事に演じた。ビディの横山道子は年齢表現の難しい役、原作
では男である弁護士ジャガーズの大山真絵子は毅然として秘密を握
る役、それぞれポイントを押さえ舞台を引き締めている。栗田芳宏
はピップと運命的な出会いをする脱獄囚マグウィッチを彼独特の危
険な魅力を生かして演じ上げる。
脱獄囚マグウィッチを助け、そのことを胸の中に小さな傷として
育つ少年ピップ。男に裏切られ、養女エステラを育てて復讐のため
に使おうとするミス・ハヴィシャムのもとでピップはエステラの冷
酷な美しさに触れ、心を奪われる。やがて匿名の遺産を相続する話
がもたらされ、紳士となる教育を受けるためにロンドンへ向かうピ
ップは、やがて立派に成長するが、エステラは彼を翻弄しその心を
掴みきることができない。彼女もまた刷り込まれた教えに捕らえら
れ幸せから遠ざかる被害者でもある。報われない彼の苦悩は(表現に
はもうひとつ深みがあるといいけれど)胸に迫るものがある。原作で
はこの後さまざまな展開があるのだが、時を経て偶然再会するピッ
プとエステラのシーンには、かすかで穏やかな希望の光があり救わ
れる。カーテンコールでの大合唱は圧巻で、カタルシスをもたらす。
休憩を挟んで約2時間半は短い時間ではないし役者は大変だが、見
ていてあっという間だった。新潟でこれだけ質の高いものが作れる
ということを喜びたいし、また全国にも発信してほしい。
[528] リデル 2008/12/21(日) 00:32 [削除]
[公演名] サンタ ステップ カフェ [劇団名] 劇団第二黎明期
自分のBlog感想書いたよ!
見に来てねぇ〜♪
(12月20日の日記)
[527] リデル 2008/12/20(土) 16:45 [削除]
[公演名] 人が来ないホテルの話 [劇団名] 劇団カタコンベ
自分のBlogに感想 書いたよ!
見に来てねぇ〜♪
(12月20日の日記)
[526] オトアン 2008/12/18(木) 14:45 [削除]
[公演名] ザ・エイリアンショウ [劇団名] オミオツケ
ちず屋2階に収まりきらない客と、それ以上に収まりきらない
女優たちのエナヂィ。目の前1〜2mにいる女性たちの体温や体重
が(実際には触れないけれど)直接伝わってくるような感覚。それ
だけに、なかなか正面から爆笑しづらいのは男性との違いかな。に
やにやくすくすしてしまう。シャイなのよ。得した感じの近さだけ
ど、ワタミチ以上の空間の方がこっちは落ち着くかも。
セットもコンパクトながらセンスがあって、ああビールケースって
すっげ使える〜とか思ったし、各ネタの終わりが区切られて、一応
ケリがつくとか、照明の切り替えの細かさなど、全体にハコに甘え
たようなグダグダなゆるさはなくて、むしろしっかり作り込まれた
感じがある。誠意が伝わる。最初の「火サス」とラストの「自分終
わり探しの旅」が円環を成しているのも巧い。またつなぎのように
挟まれた近藤聡実の「落語」も、妙に上手い(アプローチの仕方、台
詞の持って行き方に少し中央ヤマモダン的なものを感じました)。値
段に比べて盛り沢山で、全体を通して美味い。逆に、ちょっとなめ
た感じというか、いい意味でのいい加減さがもっとあっても旨みが
出るのではないだろうか。日常の延長的なネタが多かったけれど、
それこそアブダクションに遭ったような目眩のするような感覚があ
ってもいいかな。特に江尻作品の中で部分的にシュールさが飛び出
るところがネタ的にはいいなあと思うけれど、近藤作品・小出作品
にはストーリー性があって、いい意味でのハンニャーズらしさが受
け継がれているように思う。そして、サプライズの中嶋かねまさ作
品。ラスト、きゅんとしました。男だったら成り立たないです。
一番の感想は、ホームとは違う環境におかれて改めて4人それぞれ
の魅力を再認識できたということ。美人だとかそうでないとかでは
なくて、魅力的だなあと思った。そもそもこういうことをやろうと
するところが素敵。チラシを作ったり、パンフ作ったり、四人四色
の衣装を考えたり、そのひとつひとつが楽しい作業だろうなあ、楽
しんでいることが伝わってくるなあと感じた。あ、「小田島通信」が、
また良いです。良いんです。
次はいつどんな形だろうか、急がなくていいから、自分たちがやり
たいときにやりたいことをやってほしいです。
[525] オトアン 2008/12/17(水) 17:00 [削除]
[公演名] サボテンとスパナとUFOと・・・ [劇団名] 演劇集
団 爆男倶楽部プロデュース公演
なぜか爆男倶楽部を見に行くときは夏の盛りか冬の寒風か大雨
か極端な天気だった経験が多い。今回も寒い雨の日だったが、急い
でNEOSに滑り込み、暗がりの中で開演を待ち、寒さに震えながら、
役者が裏で燻らす紫煙を嗅ぎつつ、ある意味目まいのするような
(笑)ひとときの後で振舞われる飲み物や鍋物(豚汁頂きました)を腹
に入れ、なんだか愉快な気持ちで家路につく、この一連の流れすべ
てを大きな括りで楽しむということが爆男の公演なのだなあと思う。
NEOSの空間とセットは、いかにも手作りのいなたさと、それゆえ
の自由度の高さがあって、とても懐かしい匂いがする。普通のハコ
ではあり得ない、いびつに歪んでいながら絶妙のバランス感覚、無
駄な(笑)仕掛けの数々。場転でいちいち大移動するので暗転も多い
しガタガタうるさいし、高校演劇でよく批判される欠点はあるけれ
ど、とにかくたーのしーい。ひじょーに失礼ながら質的に高いとは
言えない、成長という言葉のそぐわない演技。微妙にすかされる笑
いのつぼ。目一杯であるからこそ、失笑(微笑み)の漏れるアクショ
ン。突っ込みどころはあまたあれど、ここには舞台を楽しむパフォ
ーマーたちがいて、それを楽しむ客がいる。それっていいじゃん。
いい年こいて、こんなオバカな芝居ができるってEジャン。
中身についてはあまり触れようと思わない。いつものイマジネー
ション(妄想)溢れるオリヂナルではなく、大人計画「セッ○スキン
グダム」(禁止ワード)を脚色した作品(権利関係大丈夫?)で、はち
ゃめちゃ(死語)なイマジネイションによる架空世界の構築という点
では共通性があるものの、世界観や物語世界の触感が違う。当然台
詞についても毛色が違う。地口(オヤジギャグ)の多くは脚色による
ものと思うが、大人計画の、笑いの中にもどこか醒めた空虚な感覚、
そして乱雑で下品な台詞があの特異な役者たちの身体を通って言語
化され生きてくる、そういった芝居と、長い年月舞台で、また実社
会で修羅場を経てもまれて来た歴戦の勇(と若手)たちではあっても、
実直で誠実な人柄のよさが滲む爆男とその仲間たちの資質は、どん
なに下ネタを頑張って叫んでもやはり合わないなあと個人的には感
じた。聞いてて照れちゃう。女性たちはその点一枚上かな。長谷川
優子のせくすぃ〜さ、白根美弥子のどこか突き抜けた豪快さ、小山
由美子の年齢不詳なコケットリィ、丸山祐三子のリビドー溢れるオ
クサマぶり、堀口さつきのどこか幼くもテンションを保つ力、それ
ぞれに色気がある。高橋郁子、稲葉綾子の宇宙人コンビはみょ〜な
感じが面白い。客演の若手は、やたら頑張っている感があって、そ
れだけに、ミスしても余裕で誤魔化せるいつものレギュラー面子に
比べ弱いとこがある。難しいところだ。
パンフが凝っていて面白かったり、お手製感溢れるえろほんが逆
に見てみたくなる猥雑さがあった。ドーナツ型UFOが、そそりた
つ塔に突き刺さる壮大(笑)なクライマックスを、現前させられるか
どうかがポイント。リアルにではないけれど、ちょうどアニメのよ
うな感じで、脳裏に浮かびました。
[524] リデル 2008/12/10(水) 03:36 [削除]
[公演名] ザ・エイリアンショウ [劇団名] オミオツケ
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(12月10日の日記)
[521] リデル 2008/11/23(日) 23:04 [削除]
[公演名] 「勝手にLONG RUN」【作品a「少し前、いた」】 [劇
団名] 二軍帝国(飯田)
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(11月23日の日記)
[505] オトアン 2008/11/08(土) 01:38 [削除]
[公演名] 心の底で揺れているキラキラした悲しみ [劇団名] 今
井プロジェクト
私がこの公演を知ったのはつい先週のこと。行こうと思ったの
は戸中井三太の構成・演出ということ、今までのAPRICOT関連公
演での満足度、そしてAPRICOT及びカタコンベで観てきた今井美
沙子という女優への信頼感が大きい。一方、多少の危惧を抱いた点
は、題名のストレートさと公演告知にあった「戦争や友情や家族や
喪失や」という惹句で、もし高校生の直球的な思想が声高に独白な
いしユニゾンでもされちゃったら、いたたまれないかも、とチラリ
思ったのです。もちろん、そんなことはありませんでした。訥々と、
しかし客席にしっかり届くナチュラルな発声と同様に、語られるテ
ーマもまた重いものではありながら押し付けがましく訴えかけるの
でなく静かに客席に届けられます。洗練された手法でありながらい
なたさというか垢抜けなさがあって、カタコンベらしさもありつつ
しかし今までなかったカタチの芝居です。
とても難易度の高いことをやっている役者たちに、拍手します。
溶暗の中から現れる3人の、所作と呟きから始まるのですが、内容
ははっきりわからなくても喪失感と静かな痛みが伝わってきます。
重い時間であり。正直しんどい(いやアレぢゃないですよ)というと
ころもあるかも知れません。このモノローグと無対象所作によるゆ
っくりした動き、照明、バロックピアノのシーンは、その後繰り返
されますが時間と空間がペンディングされた「場」であり、一方す
っと始まる3人の会話シーンは全く色合いの違う日常場面で、他愛
もないじょしこーせーの会話そのもの。シリアスさと感情の重さを、
瞬時にかろみある会話に持っていく力量が凄い。友人を思い、家族
を思い、自らを思い、物思う姿と、おばかな会話を繰り広げる姿は、
ひとりの人間の中に同時存在しているのであって、くだらない話で
盛り上がるワカモノの中にもシリアスな苦悩があるし、悩んでいる
中でもばか話はするのです、私たちは。3人(時に2人)のリアルな
会話がとても楽しく、嘘くさくないこういう「演技」ができること
は大変凄いことだと思います。できないですよ。さらに、アドリブ
的に見える生きた台詞を語りながら、その中で近未来あるいは並行
世界的な、戦争の影が濃くなっていく設定をあくまでもさり気なく
示唆していく演出。冗談めかしながらも海外脱出が次第に増え友人
がいなくなっていく現実、身近な友の喪失。
個人的には、会話シーンは満点差し上げる(かなちゃん先生)けれ
ども、モノローグでの動きに少しこなれていない硬さがあり、まあ
そこがこのプロジェクトらしさかも。音は、あまり重くなり過ぎな
いバロックならではのよさがあるけれど、人によっては独白にかぶ
るといかにもで少し鼻につくかも。恐らく私物であろう洋服の数々
が無造作に広げられただけの舞台は、非常に抽象的で、時にある意
味大変具象的。散らかったミサコ(今井美沙子)の部屋のイメージに
もなり、戦場の累々たる死体のようにも見え、また去って行った人々
の不在・非在を示すようでもある。
2人に思われているモエコ(齋川萌子)が弟?を思う独白の姿。思
いは時空を超える。そして、ひとり部屋に残るユリア(黒井夕里亜)
の歌う「さとうきび畑」。最初、知らなかった歌を、ミサコからやい
て貰って、いつの間にか長い長い後半まで歌えるようになっている
のだけれど、透き通る声がとても沁みる。寝転んで口ずさみ始めて、
やがて歌に入っていく。これだけひとりで舞台を引っ張れるのも素
晴らしい。目を惹きつけられます。
この歌。歌自体に力と重みがあるので、そこが強みであり同時に
ネックかな。やはり沖縄戦のイメージが自分にとっては大きく、父
を失って戦後に思う作者の心情と、まさに戦争の予感の中にある彼
女たちの状況が、必ずしも重なるものではないと感じるからだけれ
ど。もちろん戦争一般の哀しさを訴えるものでもあるから、ユリア
がこの歌に自分たちの状況を重ねても問題はないので、あくまでも
私の感覚では、ということです。
2人の、この国のその後について結論めいたことを語らない、考え
させる作劇。同世代の若者たちがどう感じるか、旧世代のワカモノ?
としてはぜひ聞いてみたいものです。集え。For the young and
young at heart、です。VAN。
[479] オトアン 2008/11/02(日) 12:33 [削除]
[公演名] ちず屋の2階大行進
前項、ミスの多い私なので思い返してみると、新潟の某高校の皆
さんは確かに来ておられたけど、上演校ではなかったかも。だとし
たら失礼しました…。
[478] オトアン 2008/11/01(土) 21:07 [削除]
[公演名] ちず屋の2階大行進 「めい びぃー ぶるぅー」
つい連チャンで4本目のD「めい びぃー ぶるぅー」を観て
しまった。が、よかったですー観られて。佐藤正志と山崎真波の
「MAY BE BLUE」と今回の「めい びぃー ぶるぅー」、どう違う
のかは観ていただければわかるが、シチュエーションは同じでそれ
ぞれ独立した作品として楽しめると同時に、設定を意外な感じでひ
ねってきているので、多分以前に観ている人はさらに面白味がある
はず。予備情報なしに観るべし。
というところで終わるべきかな本当は。ネタバレするとアレなの
で、ここから先は未見の方ご用心。てか見ちゃいやん。
DOMOよりさらに限られた空間、必要最低限のセットで雰囲気が
出ているのは流石。貴船麻里子が、スタイリッシュなワンピで現れ
デスクのセットをするきびきびした動きに、これはてっきり「アイ」
かと思えば、さにあらず。学生「マリコ」であった。そこにやって
くる、男性型のヒューマノイド、68歳に設定され名づけて「ジィ(G)」
(平石一仁)。無機物の無表情というよりむしろ人間味ある表情であ
るのは、登録された設定に合っているし、設定するまでの機械的反
応との差が出ている。また時にアドリブ的なコミカルさを入れ時に
無表情(クール)な平石の持ち味が生かされている。「夜の函」でも垣
間見えた貴船のポーカーフェイスはむしろジィより冷静で、間の取
り方がいい感じ。短い芝居の中で、時間の経過を示すのはなかなか
難しいが、でもかなりの説得力があり、次第にマリコの表情や態度
がジィに対して砕けていく感じがよかった。細かい説明がないけれ
どマリコの生きてきた年月を想像できる気がする。考えてみると、
キャラメルボックス「広くて素敵な宇宙じゃないか」のシチュエー
ションとも重なるところがあるけれど、あの甘さとは違うビタース
ウィートなおとなの味わい。「MAY BE〜」の、男女間に漂うそこは
かとない感情とはまた別の、でもヒューマンな心の交流が描かれて、
台本のよさが改めて浮かび上がる。相手の「気持ち」を思えばこそ、
すがりついて留めることができないこころ。
この作品に挑んだ新潟某高校の生徒さんたちが観劇していたよう
だが、こういう機会に足を運んでナマの舞台に触れる経験はとても
貴重だと思うし、素晴らしいことだと思う。
ああ、次いつ行こうかな。
[477] オトアン 2008/11/01(土) 01:22 [削除]
[公演名] ちず屋の2階大行進 「永遠に完成しない2通の手紙」
「さよならヘモグロビン」「夜の函」
今さらジローラ(ろ)モ(新潟弁?)、私ついストーリーを説明し
てしまうのdeath。しかるにこれからロングランが始まる初日にそ
れはやはりはばかられるので、極力避けてみたいと思いmuscle。が
chocoっと触れたらcunning。各30分ちょっとで、次の回までの
20分くらいでセットの転換、しかも結構雰囲気が変わって楽しい。
幕間にはちず屋でサンドウィッチ(超美味)や珈琲やケーキやらを楽
しめる。腰を落ち着けて見るのがよいですね。厚手のぱんつでお尻
を保護するとさらによろし。
A「永遠に完成しない2通の手紙」は、三浦しをん原作というと
ころが新鮮で、しをんのエッセイは結構読んでいる自分なのですが、
むしろシダさんらしい演出で男の子の心情がよく描かれていると思
いました。眼鏡男子(平石一仁、はまりますね)オカダカンタロウが
部屋でいかにも独り身男子らしい時間を過ごしているところにやっ
てくる、腐れ縁の幼馴染テラシマ(渡辺健)。気の置けない男同士だ
からのズバズババッサリ、ゴロゴロニヤニヤ。食べたり飲んだり書
いたりの時間のかけ方がリアルで、後半の暗転を使った時間の経過
も含めて、すっと腑に落ちる感覚。メイワクなんだけどほっとけな
い、呆れながらも思いやる、思春期を過ぎた男子の微妙な距離感が
いい。チキンラーメンが食べたくなる。
B「さよならヘモグロビン」は、タイトルから「星空は〜」の続
編?と思いましたが、むしろremixという感じで、短いながら「ヘ
モグロビン」のエッセンスがよくしみ出ています。厳密に言えばこ
ういうシチュエーションを経験したわけではないけれど、ちょうど
今の自分には沁みます。多分自分も、この男(渡辺健)と同じような
行動や考え方をするので。イテテテ。ひとりの部屋に訪ねてくるも
うひとり、そして手紙というAと少し似た面はあるけれど、女性(阿
部里美)の部屋としてちゃんとチェンジされ、また味わいの違うもの
になっている。本やCDのチョイスが自分好み。男はアクターを目
指しているのかな、音楽かな。手紙の文面が、改めていいなあと思
う。「星空〜」の時よりウェット(感傷的)で、でもより若い感じがす
る。
C「夜の函」。これは、ちょっとちょっとかなりいいですよ。シチ
ュエーションとしては、高速バスで隣り合わせたふたりの女。貴船
麻里子のちょっと生真面目で意志の強そうな感じ、阿部里美のガラ
っと変わってノホホン(に見える)天然にズレた感じがそれぞれ役ど
ころにピタッとフィット。そして、あの中身が会話の中で実際血ま
みれのソレに思えてきたり、穴が3つのアレに思えたりするのが、
台本の上手さであり役者のよさでもある。ラスト、うわーきました。
多分、また見てもゾクっとすると思います。
んー美味しかった。良質のショートフィルムを3本見た感じです。
しかもちず屋2階の、目の前に役者がいて客席は互いにテリトリー
を分け合うような濃密な空間で。演じるのも運営するのも大変でし
ょうけど、こういう企画のコンセプトそのものが嬉しいと感じます。
ありがとぅ!Dも楽しみです。
[476] オトアン 2008/10/25(土) 17:08 [削除]
[公演名] 心中ゲーム [劇団名] 演劇ぷろじぇくと坂下さん
やっぱりねえ、いろんな芝居があっていいと思うんだけど、ほ
のぼのでもダークでもスタイリッシュでも泥臭くても、ともかく目
一杯振り切ったものがみたいんだよね。例えば中庸でバランスのと
れた芝居だって、その点で振り切っているということが重要なので
すよ私にとって。そういう面では結構いい線行ってます、この芝居。
ネタバレします。
以前にも書いたが、ent.という小屋は、2階入口を使う場合一旦
上って再び降りて行くことで「冥界下り」の様相を見せる。しつら
えられた舞台空間の猥雑さはテント芝居を思わせる。開演は黒子が
舞台を整理しつつ女を運び込んで、梵鐘が鳴り響く闇の中。現れた
サファリスタイルの男(ジャンボ佐々木)の首には某消臭芳香剤スプ
レー。何かを探し続ける男が出くわす、ゴミの山から出てくる女(谷
藤幹枝)。速射砲のようなたたみ掛ける台詞の、中身があるのかない
のかわかりづらい(従って聞きもらしても舞台上特に支障ない、しか
し読み込めば関連のある)無駄な情報量の多さ、諧謔。懐かしいアン
グラな匂いが充満するのだが(ジャンボ氏全開)、男が探しているの
は「リセットボタン」であるという。この「世界」は、運命の相手
と出会い心中を果たすことを目的とした「心中ゲーム」であって、
見えているものはあくまでもヴァーチュアルである。黒子が登場し
て予め女が「セット」される意味が納得できる。これが運命の女で
あることを肯んぜず、この地点をリセットすることでもう一度初め
からやり直そうとする男。仮想現実ゲームであるゆえに、ライフポ
イントの増減、隠しキャラ(「一休さん」の保坂郁夫の自己戯画化は
流石)やアイテムなどそれらしい用語が散りばめられ、この世界の基
本構造についてはかなり初めから明らかにされている。それに対す
る懐疑やアンチテーゼが語られることはあまりなく、その点素直な
作劇。で、オタク系の用語などで見た目イマ風の話に見えながら、
構造そのものは非常に典型的な、20〜30年前によく見られた(いや
知らんけどね)アングラ系小劇場のものである。眼前の世界を否定し
一皮向いたもう1レベル上の重層世界を希求する男。そのロマンテ
ィック=ワガママなビルドゥングスロマンのイズム。なるほどRPG
やシミュレーションゲームの構造は新しいものではなく、古い神話
伝説の世界と共通するのだという、言うまでもないことを改めて思
う。
この「世界」はシュトゥルムウントドランクというかメールシュ
トロムというか大竜巻の脅威に晒されている。温暖化をイメージし
た終末観が見られるのだが、世界はリセットされ新たに再構築され
る。その中で、単なるキャラに留まらず生きている自分自身を高ら
かに主張する強い女。「昭和の女」という言及もあるが、観る者が同
じ世代観を共有できるようでいて設定ではヴァーチュアルなのであ
る。「20年前のあたしを想像して」云々の台詞があった。確かに20
年前の谷藤幹枝も美しかったと思う。その後いろいろあって、彼女
も私もあなたも年輪を重ねその蓄積は身体に外見上の変化を及ぼし
ていることは事実だが、しかし現在の谷藤幹枝の美しさはそれを補
って余りあるもので、むしろ今まで以上に、表面的なきれいさとは
別の凄みあるものになっている。少し危なげなところもありながら
見事な身体能力と柔らかさを見せる舞で登場する美井美保。所作や
鳴き声は猫を思わせるが「すすきの原か葦の原」に古くから棲む動
物らしく、それが先の戦争について語る独白は、しかしゲーム中キ
ャラ「ヤマトちゃん」という位置づけであまり意味を持たないよう
に思う。整理していいのではないだろうか。脂肪分の少ない透き通
る肌の美形だが、ところどころエキセントリックさが見えて面白い
役者だ。
ライフ獲得ごとにレベルアップしリセットボタンにようやく出く
わした男は、しかし心中という予め定められた結末よりも仮想の中
での「生」への執着を見せ始める。そんな中登場する老人(に見えな
いが、イワッチ)。次第に話はカラマーゾフの兄弟の世界になだれ込
む。ドレスに着替えた女=グルーシェンカを巡る、父フョードルと
長男ドミートリー(ミーチャ)の対立。話の単純化には笑ったが、黒
子スメルジャコフによる父殺害までやるとは。そしてイメージは近
松の曽根崎心中に飛ぶ。お初徳兵衛の道行、台詞回しも堂に入って
いる。ゲームに古典文学が混入されているという設定なのだが、こ
ういうイメージの奔流もまたこうした芝居では馴染み深い。男は、
女と「生きるため」水路へ消える。女は、男がこの世界から去り、自
分は次の男を待つと語るのだが、男は再びやって来る。女を伴い次
のステップへ向かうために。台本として、もっと詰められるところ
はあると思うが、役者たちの熱演で満足できた。この、ある種大団
円的な終幕に、襖に書かれた「Game Over」が出てくるの
は蛇足ではないかと自分は思うのだが。
[472] リデル 2008/10/03(金) 23:55 [削除]
[公演名] かりそめの花嫁 〜もうようかんなんて食わねえよ、秋
〜 [劇団名] 新潟大学人文学部齋藤ゼミ
自分のBlogに感想 書いたよ!
見に来てねぇ〜♪
(9月28日の日記)
[469] リデル 2008/09/28(日) 10:44 [削除]
[公演名] 深海人魚 [劇団名] 二軍帝国
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(9月28日の日記)
[465] オトアン 2008/09/19(金) 13:06 [削除]
[公演名] プレビュー村 [劇団名] 中央ヤマモダン
中央ヤマモダンは、公演のハコに応じて、あるいはその空間に
応じて、さまざまな演出方法を考える。ent.のような設備が整った
場所では、照明音響映写などの手法が比較的自由に十分に用いられ
るため、ある意味きちんとした公演スタイルになる。例えば今回は
各コント間のインタバルにきちんとブルーの明かりで静止・転換な
ど、ワタミチでやる時のような転換のグダグダ感がない。むしろ、
欠ける、と言おうか。ただ、いつも同じパターンで期待に応えるこ
とを望むのは客のワガママというもので、いろんなアプローチを試
みる姿勢は正しいと思う。
今回もタイトル「プレビュー村」の意味するところを正確には知
り得ないのだが、公式HPの解題があって参考になる。オープニン
グコントである「寿司屋のシャリとり」は、原範和の大将が寿司を
握る中、銃を手にした江尻晴夏(「青年」の設定だったのか〜)が侵入、
ジャック・バウァーかと思いきや、現れるゾンビ山本康司、小田島
美穂子を打ちまくる。バイオハザードかーい。シャリに異常な執着
を見せ何度も立ち上がるゾンビ。お約束ながらナンセンスさが結構
笑えた。それが、何だかケリのつかないまま終わって行って、あれ、
この不完全燃焼さ、これが「プレビュー」ってことなの?もうちょ
っと続きが見たい感じで流されるの?と少し推測。続く「救急医療
の現場」でも、絵に描いたような医療ドラマ的場面が展開する。し
かし病床の父(山本)は息子(原)と嫁(江尻)の会話から置いて行かれ
る。これもまた類型をうまくヤマモダン的に使ったもので、やはり
半端な感じで終わって行く。こういうありそうなシチュエーション
のつまみ食い的な公演なのか?と仮説を立てる間もなく、「知的ロマ
ンスペシャル」では某TVの発掘番組をパロった感じでぶち切れた
徳川偽康(山本)が巻物をずたずたにしていく。次第に、そういう括
りでは捉えきれないということを感じてくる。「軍艦ヤマモト」では
会社の会議室で、長机に乗った軍艦ヤマモトが理不尽な言葉を発射
して部下(小田島)がキレる。「FH法」は、生徒を訪問に来た2人の
教師冨田川先生(山本+原)が、不登校の生徒瀬戸中島アケミ(小田島
+江尻)と、2人対2人の会話を繰り広げる。人口変化に伴い、Fふ
たりでHひとりという法律が施行されているというシチュエーショ
ンの説明で、きれいにまとまった話。それが過去の話で、現在はY
よにんでHひとり、というオチがある。ここらへん、ちゃんとケリ
をつけている。「マーシー違い」ではアイドルの歌を遮るように始ま
るリンダリンダで飛び跳ねるヒロト(山本)とマーシー(江尻)、しか
しこのマーシーが盗撮の方のマーシーという、これも一応落とすネ
タ。「5月2日 ごふの日」は、病院ネタだが、急患(原)をそっちの
けに看護師サービスに燃える医者(山本)が面白い。長めの「プルビ
ュウ村の祭り」は、祭りの日になかなか現れない子供たちを待つ教
師たちの会話。会話の内容のグダグダさが肝。時差修正忘れという
ネタオチは取ってつけたようなもので、別の落としどころもあった
かな。「柊冬椿」は、かつての売れっ子?演歌歌手・柊(原)が果樹園
のバイトをしているところ、鉱脈を当てたい男(山本)と女(江尻)が
掘り進んで向こうに柊を発見する。3人それぞれの作・演出が集ま
っているため、全体としての統一感を出すことが難しいのだが、そ
れは承知の上でのヤマモダンだろう。それでも並べ方その他で流れ
を作ろうという意図が見える。
挨拶の後、NAMARAのコンテスト出展予定コント「アトピー
の先生」の、それこそ「プレビュー」があったが、ネタを続けなが
ら、「ここらへんで時間が来る予定」という説明に、なるほどヤマモ
ダンはきちんとオチをつけるという方向性で固めず、尻切れで構わ
ないというスタンスなのだと改めて思った。今回、爆笑させるよう
なネタは少なく、くす、にや、という笑いが多かったのだが、それ
だけで善し悪しを判断するわけにはいかないね。自分にとっては、
約1時間半ぼーっとにやけていられたのが楽しかった。
[462] うなな 2008/09/15(月) 10:56 [削除]
[公演名] 歌わせたい男たち [劇団名] 新潟大学演劇研究部
バス時間の関係でアンケートに感想を書けなかったので,ここに
書きます。
卒業式で君が代を歌うか否か…とても真剣に語られていた。内心の
自由について校長が屋上から語るシーンが良かった。
こうした事例は一種の風物詩で,卒業式シーズンに知人とも語った
ことがある(大半が法学既習者でかつPTA会長経験者)。僕たちの
結論は,君が代を歌ったところで内心の自由が侵されることはない
ので,ニコニコしてお腹から声を出して高らかに歌おうということ
だった。(「千の風になって」風に)
現在,某中学校のPTA会長をしていますが,来賓祝辞の発声練習
のつもりで,君が代・校歌は声高らかに歌っています(来賓席の皆
さんって声が小さいんですよね。もしかして拒否してたりして)。浮
いてます。
[461] リデル 2008/09/15(月) 09:30 [削除]
[公演名] 歌わせたい男たち [劇団名] 新潟大学演劇研究部
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(9月15日の日記)
[460] リデル 2008/09/15(月) 09:28 [削除]
[公演名] プレビュー村 [劇団名] 中央ヤマモダン
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(9月10日の日記)
[457] リデル 2008/09/07(日) 21:37 [削除]
[公演名] ジャスティス☆ファイブ [劇団名] 情熱華劇団
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(9月7日の日記)
[447] リデル 2008/09/03(水) 06:52 [削除]
[公演名] イッセー尾形みたい! vol.4 横山 ひろゆきの せきの
やまジンセー 〜本番公演〜 [劇団名] コマツ企画
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(9月3日の日記)
[443] リデル 2008/08/31(日) 07:59 [削除]
[公演名] ホーム脇の女亭主 (新潟バージョン) [劇団名] 熊谷
知彦
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(8月30日の日記)
[441] すてU 2008/08/24(日) 20:55 [削除]
[公演名] 高麗犬おるん [劇団名] あんかーわーくす
あんかーわーくすさんの舞台はいつでもイベント性が高くて、お
客様を楽しませようという気概が感じられる。
にもかかわらず、なにか物足りなさを毎回感じる。肝心の芝居が停
滞している。表面上芝居をする(語弊があるかもしれないが派手な)
役者さんが多く、真実味にかける。とくに今回はシリアスな面が多
かったので、芝居自体は白々しさがあった。
あんかーわーくすさんはスタッフ集団で、毎回の公演はある意味そ
の公演限りのユニット的な面が多い。集まった役者はそれぞれの持
っている個性を互いにぶつけながら精進していくのだろうが、呼ば
れてきて今までどおりにやっているだけでは面白みが掛け算になら
ない。折角自分の劇団や自分がやっているテリトリー外でやってい
るのだから、もっと殻を破っても良さそうなものだけど。
役者が絡んでいる感じがイマイチ。
やっぱり、イベント性も大事だけど、芝居自体が本質というか、包
み紙だけ豪華なプレゼントを渡された感じでした。
まぁ、豪華な包み紙にも愛情は感じられるんですけどね。
[432] リデル 2008/08/12(火) 05:38 [削除]
[公演名] イッセー尾形みたい!vol.4 横山ひろゆきのせき
のやまジンセー [劇団名] コマツ企画
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(8月11日の日記)
[420] オトアン 2008/07/24(木) 18:21 [削除]
[公演名] ケータイの絵文字の走る人 (でいいすか?) [劇団
名] 劇団カタコンベ
例によって美麗なチラシ・ポスター写真の白い鳥は、そうか「鷺」
じゃん。とかね。芝居中の人物で一番印象的なのは、登場しない「川
崎さん」だしね。このところ(前からか)カタコンベ文庫(台本)
を読むと台詞とト書きのミニマルさに感心する。例えば冒頭の1ペ
ージ、舞台ではいったい何分かかっただろう?実際に観た舞台が台
本を読むことによって脳裏に蘇り確認されるのであって、読んだだ
けであの舞台が目に浮かぶ人はまずいないでしょう。そゆこと。行
間に込められた情報や感情は、演出によりまた各役者のイマジネー
ションにより増幅させられて文字がいのちを吹き込まれ生きた舞台
となる。
書けない表題には、携帯コミュニケーションの現在性が表れてい
るし、クライマックスの携帯を使ったやりとりにもそれがある。時
代を超えた芝居を創る意識からあえて時代性のある小物や設定を避
ける場合もあるけれど、この現代性を出すことにためらわない作劇
も、作者戸中井氏の自信だろう。時代性の刻印があっても残る作品。
そして、どんどん次へ行けるという意志。
旧作のキャラクタ設定が生かされ、しかも既に次作も予定されて
いるという、「破格」の作品。それはこの「中野春男」という「イイ
カゲン」な「何でも屋」の男が、戸中井氏の中で生き生きと動き出
しているからだろう。チラシにキャラクタプロフィールが載ってい
るのも珍しいし(余談だが消えてしまった?「諸橋進一」のキャラに
興味津々)、一見してわからないような難解さもなく、絵に描いたよ
うなハッピーエンディングの作品であることも珍しい。喜劇といえ
ばまさに喜劇(コメディア)。しかし、今回もまたいやだいやだと言
いながら自分のイノチを的にしたアブない仕事を引き受ける春男の、
一種英雄的な姿はギリシア悲劇的でもある。お気楽に観れる一方で
扱われているテーマには現代性がありへヴィな面があるのであって、
その噛み応えのある深い味わいがカタコンベらしい。「カタコンベ」
という言葉を劇団以前に知っていた身には、文字通りアンダグラウ
ンドな瞑さをカタコンベの醍醐味の一つとして感じるところがある
し、その世界観はとても好きなのだけれど、どろどろにダークな作
品を経て来て、その上で現在こうした作品を作り得ているカタコン
ベ・戸中井三太に、共鳴する。もちろんいくつもある引出しの一つ
なのだけれど、遍歴の結果でなければ作りえないものだから。
ペテン師カトウ(高田信)の、腹黒くも小心な人物像。親に愛想
をつかして家出中ながらどこか捨てきれない高校生・金井洋子(今
井美沙子)のリアル。彼女を助ける家政婦で、自分も元夫から逃れ
ている山本洋子(小山由美子)にも説得力がある。下っ端暴力団員・
内藤啓介(イカラシコージ)は、それっぽくない格好なのに時折見
せる異様な視線に怖さを滲ませる。内藤と心通わせる、幹部川崎の
娘・舞(久々に舞台で見た愛恵さんはTV以上に輝いていた。八重
子さんが見れなくて残念Sorry)の愛すべきキャラクタ。なさそう
でありそうな人物たちの造形がいい。
「頭はちょっとしか悪くないけど、かなりバカ」と評される春男
は、同じ言葉で春男が内藤を評するそれとはニュアンスが違う。自
分の利益にならないこと危険なことを敢えて引き受けちゃうことが
できるバカである。イマドキいるか?というこの人物像は、いない
からこそいてほしい、それこそ「寅さん」のような存在なのだ。こ
の、美味しいとこ全部持ってっちゃうような春男を、一時はあえて
引いたポジションをとっていた戸中井三太が、堂々全力で演ってい
る姿は、ある意味清々しい。推測だが、若い演者たちと接している
中で、まだまだ老成などしていない現役の自分であることを全面に
押し出すことにためらいなくなっているのではないか。カタコンベ
が使える駒の中で、役者・戸中井を演出・戸中井が必要不可欠と認
めて存分に駆使しているということ。素敵。
[414] リデル 2008/07/21(月) 11:14 [削除]
[公演名] 輪獄〜りんごく〜 [劇団名] 劇団夢物語
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(7月21日の日記)
[411] リデル 2008/07/20(日) 10:52 [削除]
[公演名] アローン・アゲイン [劇団名] 劇団御の字
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(7月20日の日記)
[409] ゴジエワ 2008/07/13(日) 22:11 [削除]
[公演名] ケータイの絵文字の走る人 [劇団名] 劇団カタコンベ
なんか・・かなり惹きつけられた。
やっぱり・・・・なんと言っても戸中井さん!!輝いてる!「なん
か普通じゃない人!」を演じきっていて、見る人を魅了する!私も
それに魅了された中の一人だ!
最近になってカタコンベの公演に出ている、高校生の2人、今井美
沙子さんと高田信君。若い二人が何とも言えない味を出している。
今井美沙子さんは実際の年齢とあまり離れていない、高校生を演じ
ている。それはまたそれで難しいと思う。だがその難しさを乗り越
えた演技が舞台に乗っていると思う
逆に高田信君は、実際の年齢よりちょっと上の年齢の役を演じてい
た(年齢はよく分からなかったが・・・)おそらく、自分のまだ知
らない世界。そんな世界を悠然と演じている。それでいてリアルで
もある。
そのほかイカラシ・コージさん、小山由美子さん、小林八重子さん
の出演。やはりカタコンベはいいなあと思う!
ダブルキャストのもう一人、愛恵さんの公演も是非見たかった!ホ
ントに!ただどうしても時間が合わなかった・・・↓↓↓
是非次回作にも愛恵さんに出てもらいたい!
今度は見にいきたい!!いや・・・行く!!
というわけで私はやはりカタコンベが好きだなあと!次回作も必ず
見にいきます!
一番好きだったシーンはあの「大人の条件ってなんですか?」のと
き!じゃがりこ!ここで出たか!!!と笑いが止まらなかった!!
みんなよく笑っていたが、私が一番笑ったのではないかと、自分で
思っていたりしています!
一度まとめたのに、また話題が出てきた!どうやって締めよ
う?・・・・・・・・・・・・・・
じゃ!
[408] リデル 2008/07/13(日) 12:26 [削除]
[公演名] ケータイの絵文字の走る人 [劇団名] 劇団カタコンベ
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(7月13日の日記)
[405] リデル 2008/07/09(水) 00:53 [削除]
[公演名] 孤児の半生 [劇団名] 中央ヤマモダン
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(7月9日の日記)
[403] オトアン 2008/07/08(火) 16:59 [削除]
[公演名] 孤児の半生 [劇団名] 中央ヤマモダン
某民放の「赤絨毯」(仮)で見られる、「提携(コラボ)絨毯」(仮)
のように、「異種格闘技」という形で出処の異なるキャストが会して
行われる出し物には、楽しさもあるけれどどこか物足りない部分が
ある。それぞれの持ちネタを出し合い、互いのネタをリスペクトし
ながら相互乗り入れして、微笑ましかったりしながらも、急場でた
だ合わせたものは足し算であって、掛け算にまで昇華しているレベ
ルのものは少ない。芝居の場合、ある程度演出のヴィジョンとディ
レクションがしっかりしていると、核融合的な大化けをすることが
ある。フランチャイズからの出向は刺激的な冒険であり成功すると
ホームを超えることもある。結論から言えば、今回の中央ヤマモダ
ン公演は、足し算のそれだったように感じる。「オモロ」なものは、
ただただ加えていけばそれでいいわけではなく、演出の言葉にもあ
ったように、間引いたり淘汰したりしていく必要があるのだが、そ
の練り込みが十分であったとはいえない。ハンニャーズの面々は流
石の力量だったが、得意技を見せてもらったものの新しい展開では
ない。そしてヤマモダンの面々はむしろ一歩引いている感じで、ち
ょっと欲求不満になる。90分が長いのかといえば、芝居としては長
すぎることはないし、単発コントのオムニバスでもまあアリな長さ
なのだけれど、ナンセンス要素とストーリィとしての整合性を共存
させることにおいて、旧一発屋などの先行(成功)事例を超えるもの
ではなかった。笑えたのは、やはり各自のキャラクタを上手く使っ
ている部分で、山本氏の飄々としたテイスト、原氏の顔とギャップ
のある素っ頓狂さ、小田島さんの佇まい、小出さんの小悪魔っぷり、
渡辺氏の変態っぽさ、そしてげんぱさんの入魂大暴走なのだ。願わ
くは、これらが化学反応を起こして連鎖的爆発に結びついてほしい。
「孤児」というテーマをのっけから誇示するかのごとく名作(アン、
オリバー、デヴィッドら)の列挙がなされ、そのテーマはずっと固持
される。扱うのに微妙なテーマだとは思うが、その筆先にあっけら
かんとした明るさがあるのは、若さだろうか。まだ貧しさが身近に
あった世代にはできない描き方だろう(そうさのぉ、あの頃はの
ぉ)・・・。
ネタバレ。施設から里親のところを転々とする孤児・さわお
(NAMARA山崎政史)の行く先々に現れる謎の年齢不詳男(山本康司)。
彼は、自分の心の不安な部分の象徴で、実在しないのではないかと
考えるさわお(と観客)だが、わさおと名乗るこの男、結果的には見
た通りさわおの行く先々を回っている孤児であった。最初のハナノ
家では「食事はうまい」母(小田島美穂子)と娘リンコ(小出佳代子)
の中で楽しく?過ごす。海外単身赴任の父親がネギを使ったスパイ
スを作って事業を起こしたりする。次に独居中年(?)女性ヤナギダ
さん(近藤聡実)は、精神的に不安定な(ぼっこれた)姿が迫力満点。
さらに、一見モーホーっぽいが「女大好き」の画家(渡辺健)の家で
は、わさおと一緒に生活することになる。やがて成長した(といって
も16歳)リンコが商談のためやって来る・・・。こうした、近代文学的
「孤児の半生」ビルドゥングスロマンの筋はあくまでも方便であっ
て、散りばめられたナンセンスギャグがむしろ主なのだと思う。H
INODE引越サービスによる場面転換や「どや」の人、「アラキ」
(荒木あや)などの筋と関係なく織り込まれたもろもろを、面白がれ
るかどうかが見る者によって様々な評価となるだろう。個人的には
バランスがよろしくないと思った。もっと削っていいと思う反面、
逆にこういう単発ネタの羅列で(ということは従来の形に近くなる
が)いいのではとも思う。 当初、ワタミチのガラス戸を通して行き
交う古町(横一番町)の人たちに混じって出演者の姿が見えるのがと
ても面白かった。外景を取り込んだこういう手法がワタミチの、ヤ
マモダンの面白さだと思うが、映像やお土産の煎餅やグッズ販売や、
楽しめる要素は満載で、かけられたエネルギー総量も並々ならぬも
のがあるだけに、惜しいと思うのであえて中辛れびゅー。
[401] オトアン 2008/07/07(月) 13:13 [削除]
[公演名] 霙まじりの雑踏の中に、 [劇団名] 劇団共振劇場
パンフレットの裏に、登場人物の氏名・年齢とちょっとした設
定が書いてあることで、ある程度話の流れが見えるのだけれど、そ
れ以上のストーリィ説明もなく、しかし芝居の中で事情が見えてく
るのはやはり作劇の上手さ。今回は特に仕掛けらしいものもなく、
設定された場(小林里美の部屋)で繰り広げられる数時間をそのまま
提示したような、まさに「静かな演劇」的な芝居になっている。た
だ、青年団などの本当に素のままじゃん的な「演技」と少しテイス
トが違うのは、役者の個性もあるだろうし、どこかしらドラマティ
カルな志向性が根底にある共振劇場の個性なのかもしれない。しか
しそれぞれ役者が自分のナマを生かしながら役を作っていく、アン
ビバレントな業を垣間見ることができる。ヤマ場らしいものはラス
トの食事シーンくらいで、全体に盛り上がるところがあまりない会
話劇であることはその通り。ただあえてこういう芝居によって問い
かけて来るものがある。
離婚した父・小林康平に引き取られ、今はアパートで一人暮らす
小林里美(土田彩子)と、母・田中宣子に引き取られた兄・清(平澤隆
一)、妹・真奈美(大港摩弥)が、康平の妹・春香(大作綾)の連絡で久
し振りに里美の部屋で再会する。康平はホスピスのようなところに
いるらしく、容態が思わしくないための召集で、そこには重苦しさ
があるし、離れていた元家族間のぎこちなさもある。盛り上がるよ
うな状況ではないけれど、どこかしら明るく振舞わなければという
意識を各自が持っている。こんな中で生じる微妙な間を、お茶や饅
頭、食事が埋めてくれる、こんな経験は多かれ少なかれ誰しも持っ
ているだろう。
さらに、真奈美の、歳の離れた彼氏・斉藤一樹(小熊好弘)が訪れ
る。定職がなく、年齢のこともあって、清は内心忸怩たるものがあ
り、状況が状況でなければもっと邪険に扱うかもしれないのだが、
漂う哀しい諦観もあって、その接し方には礼儀がある。
会話の中心に、父が最期に見たい光景を見せようということがあ
る。里美が聞き出したのは、父の記憶の中にある、何十年も前の、
晩冬の市(いち)の光景だった。暑くなる頃の「現在」、そこまで命が
もつとは思われない。そんな中で彼らは、黙ったまま熱いすき焼き
鍋をかきこむ。そして清と斉藤は酌をする。これは実にリアル。哀
しみや喜びや怒りや空しさや、そういった様々な感情を抱きながら
も、私たちは食べ、飲み、咀嚼し嚥下し、そうして生きて行く。生
きて行くべきなのだ。
共振劇場のパンフレットにはストーリィ紹介の代わり?に、作・
演出の田村氏が少年時代の記憶を綴る、一見芝居とは直接関係ない
文章が載せられる(市の光景は重なるか)。少年Kと同年代・同地域
でなかったとしても、郷愁をもって思い描くことのできる追憶の光
景。劇中で斉藤が「思い出は作られる」ということを語るのだが、
見たことのないはずの父の幼き日の記憶を追想すること、夏のさな
かに「霙まじりの雑踏の中に」いる父の姿を「観る」ことができる
こと。それはまた、劇中の様々な境遇にある彼らの心情を、観てい
る私たちが追体験できることと重なるのではないだろうか。
[400] リデル 2008/07/06(日) 12:21 [削除]
[公演名] ワンマン・ショー [劇団名] 新潟大学演劇研究部
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(7月6日の日記)
[392] リデル 2008/06/24(火) 21:23 [削除]
[公演名] 心中ゲーム [劇団名] 演劇ぷろじぇくと坂下さん
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(6月24日の日記)
[382] オトアン 2008/06/22(日) 10:12 [削除]
[公演名] 踊るOL in ワタミチ TROPICAL SUMM
ER NUDE 夏至って夏でしょ!!! [劇団名] CassisB
eat×NOPPU×YUPPE 3rdSession
女子って、ズルい。お化粧直しトカ、着替えトカ、飲んだくれ
たりトカ、男子がやってもかっこ悪いことも、女のコだとやっぱカ
ワイイもん。2人の自分をさらけ出す姿に、私もドキドキしたよ。
ワタミチのタイニィな空間で、向かいのお客さんと対面しながら、
真ん中のスペースで激しく踊る2人の汗が飛んできそうな、それ以
外のいろんな液体も飛び散るこの感じ。やっぱり夏っぽい。タイト
な黒ミニのスリットを広げ、白いブラウスの胸元をはだけ、派手目
のブラが見え隠れというせくしぃOLルック。ビートに乗って激し
く踊る姿は、日常からダイブするように、はじけちゃえ!って感じ。
でも、いわゆるアバンギャルドな匂いは薄くて、むしろポップな印
象。選曲がビートの効いたポップ系で、歌詞も日本語だから、やっ
ぱり詞の言葉が耳にはいるし、踊りにもそのニュアンスが反映する。
ワタミチを長方形のハコにして、2人でシンメトリーに、時にシン
クロして踊るダンスは、音に合っていて、感情をわかりやすく表出
して(変に小難しくしようとしてなくて)乗りやすく、その感じが心
地よい。オールドをあおって飲んだくれるYUPPEさんの姿が、
でもオヤジのそれとは違ってなんかカワイイ。中盤、白Tと青いカ
ットソーワンピで少女のように無邪気な感じで飛び回り、スペシャ
ルなジュースを作っていくところは、なんじゃこりゃって感じでオ
モロー。20代のOLが、いろんなしがらみをとっぱらって童心に
帰っていくような。それぞれのソロも、いろんな妙な動きを交えな
がらそしたらまたOLルックに戻ってポールダンス(笑)やら水かけ
っこやら、どっひゃーって感じで、あれよあれよと1時間弱が終わ
っていく。何となくストーリー性はあるけど、ともかく踊りたくて
踊ってる気持ちがあふれて、こちらにも伝わってくる。ワケわかめ
のシーンもあるけど、それもまあ愛嬌の範囲で、自分をさらけ出す
爽快さは、見てて気恥ずかしい感じも覚えるけれど、でもどこかい
さぎよく、いやな感じを受けない。これくらいのキャパって、客に
とっては贅沢なんだけど、でもちょうどいい感じかな。以上、オト
アーヌでした。るん。
[381] リデル 2008/06/22(日) 09:54 [削除]
[公演名] 霙まじりの雑踏の中に、 [劇団名] 劇団共振劇場
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(6月22日の日記)
[374] リデル 2008/06/21(土) 01:48 [削除]
[公演名] TROPICAL SUMMER NUDE 夏至って夏でしょ!!! [劇
団名] Cassis Beat×NOPPU×YUPPE 3rd session 踊るOL in ワタ
ミチ
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(6月21日の日記)
[366] リデル 2008/06/18(水) 22:59 [削除]
[公演名] 中心犬ハチ公物語R [劇団名] 本気×MIX20
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(6月18日の日記)
[346] オトアン 2008/06/16(月) 13:16 [削除]
[公演名] 宇宙水族館のabc [劇団名] 劇団第二黎明期
そういえば長岡リリックホール(シアターゴーイング)で見たな
あ、夢さん元気かなあ、などなど思いつつ、シアターの広さより西
堀DOMOの限定された空間が逆にその周りに広がる空間を想像さ
せて黎明期らしくマッチしていることを改めて思った。ポップでノ
イジーな音もいい感じ。そして役者が変わると印象も変わり、新し
い芝居となっている。少し思ったところを述べまする。
零細経営の便利屋(猫の手サービス)をやっている「チーフ」、客演
のハンニャーズ近藤聡実は、一見社会では「負け組」っぽいが結構頭
の回転がよく意外な「裏」を持つ深みのある役柄を、彼女らしい表
現で造り出している。高橋景子が演った時の、酸いも甘いも噛み分
けた年輪とは違う、ちょうど女性として旨味が出始める微妙な年齢
感が感じられる。ホームグラウンド・ハンニャーズで見せるエキセ
ントリックさと、カタコンベ客演などで見せたナチュラルさ、その
両面を滲ませる今回の舞台となっているが、どこか中途半端な印象
を受けるところもあった。抑えた表現のときに、どこか透けてくる
彼女自身のナマの姿、もう一段階屈折させて透過度を落とすといい
のかな(印象論ですね)。後半、次第にストーリーが収斂されていく
中で見せる表情の深みはよかった。
ふとしたことからチーフの片腕(指先?)となって働く、家を出た
らしい少女アヤ・増子綾。精一杯の表現が、ストレートで微笑まし
い。喜怒哀楽が、そのままの表情で提示される。そのけれん味のな
さは役柄の幼さや真っ直ぐさを示す点で可としながらも、例えば笑
顔で見せる哀しみや、無表情の怒りなど、屈折した表現がさらに出
てくるとアヤの生い立ちや来歴と重なってよりよいかと思う。頑張
っている増子自身が、透け具合としては結構シースルーなところが、
好ましくもあり課題でもあるだろうか。
いわくありげな仕事を持ち込む興信所事務員・高橋景子は、年齢
不詳でなかなか本音の透けて来ない女を見事に創出している。2人
のところにやって来たフェイクの顔が、次第に透けてきて本音の意
図が見えてくるのだが、その見えてくるところが役者である高橋自
身のそれではなくきちんと構築されたキャラクタの顔なのだ。流石。
ちょうど年齢(年輪)順に、役と役者の皮膜透過度が低くなって行く。
感情を乗せた台詞回しでないからこそ伝えられる心情や状況がある
こと。さらに、決して口蓋をしっかり開けた明瞭な発声をしている
わけではないのに、それでもきちんとelocutionができていて、台
詞が伝わってくる。腹式呼吸で滑舌をきちんとすることが台詞を届
けるための絶対条件なのではないことを体現してくれる。これをそ
のまま自分のものにすることは難しいだろうけれど、これを見るこ
とで役者として大事な何かを得られることは間違いない。というか
それを感じられなければ役者の資質に欠けると極言したい。
市井の片隅に生きる、ちょっとした憎めないワルの姿を描く点で
シダジュンの筆は絶品。ブラックさは薄いこの作品、寓話的な中に
世相を反映し、登場する「男性に依存しない、根っからの悪人でな
いけど綺麗事で生きない、どこか傷を持つ女性」の姿はシンパシー
を呼ぶ。三人三様のテイストの違いが、薄め合うのでなくすれ違う
のでもなく上手くはまっていくとさらに完成度を増すだろう。
月を眺めつつ、「宇宙水族館」とは詩的で素敵と思う夜更けであっ
たことよ。
[340] あうふ 2008/06/12(木) 12:20 [削除]
[公演名] もしも [劇団名] チャレンジ演劇集団あおえんどう
新潟大学斎藤陽一研究室 芸能時評に
芸能時評No194「チャレンジ演劇集団あおえんどう もしも」アッ
プされています。ちぇき!
http://www.human.niigata-u.ac.jp/~y.saito/writing/if.html
[338] オトアン 2008/06/11(水) 17:02 [削除]
[公演名] Nameless Hands〜人形の家 [劇団名] Noism08
今回のコンセプトは「見世物小屋」であり、操られる人形のド
ラマでありかつそれを操る者の姿でもあり、凄まじいボディコント
ロールと卓越した舞踊技術をベースにしながらも、高尚で難解な、
専門家にしかわからない表現ではなく、言葉や歌まで交えて下世話
なまでに観客に届けようとする色香に満ちた、とても芝居らしい公
演。県内外のダンス関係者が顔を見せる一方、初めてのお客さんも
多かったようで、休憩を挟んで60+40分、終演後のホワイエには
言葉にならない静かな興奮が満ちていた。演劇に足を運ぶ人の姿が
あまり見えなかったが、まだ公演は残されているので是非。
開場すると、上手前にしつらえられた卓上の額縁の中で人形を操
る黒帽子の男(宮河愛一郎)。そして(紗幕を通して)あちらこちらに
浮かんで消える白い人形の顔。男の口上により「見世物」が始まる
前から既にこの世界に導かれている。大時代的で大仰な、郷愁を誘
うメロディが大音響で鳴り、黒子たちによって運び込まれる白塗り
の「人形」たちの見事な抑制。自ら動くのではなく、黒子に身を委
ね動かされるという制約された中で示される身体操作の素晴らしさ。
表情なく意思を持たないはずの人形が、操られる動きの中で喜怒哀
楽を感じさせる、人形文楽などで得られる感覚を覚える。黒子は衣
装のため視界の不明瞭・足元の不安定などの制約があるはずだが、
本来裏方として操る黒子の動きそのものがダンスとして成立してお
り、これもまたスリリングー。バッハやグリーンスリーヴス、カル
メン、梅林茂など雑多なようで場にそぐい(マッチングー)かつ統一
感のある音の渦に乗り、人形の、人間の、そして黒子のドラマが繰
り広げられる。見世物小屋の支配人である男と、みゆきという名の
女(高原伸子)、そして人形の絡まり合う愛憎が挿入され、人間と人
形の関係が必ずしも上下関係のそれではないことを考えさせる。さ
らに言えば、操る黒子の姿もまた、超越的な見えざる手を持つ「神」
のそれではなく、匿名であるけれど人形と入換可能な、「名もない手
Nameless Hands」であり、それ以上でも以下でもない。
ストーリー性が強いが、コラージュの手法で様々なイメージを創
出し、それをまとめていく作劇法ゆえに、論理的に追って行こうと
すると難しさもある。しかし珍しく今回は(映画のノヴェライズのよ
うに)台本化されたテキストがある。しかしあくまでもそれはひとつ
の参考であって、観客自らの感じ方を制限する物ではないだろう。
テキストではきっちり意味がある流れなのだが、みゆきの熱唱(なる
ほどみゆきか)、ノリノリえろスター青木尚哉の表情など、意味はと
もかく笑いのつぼを押されるところが沢山ある。多分、笑ってもい
いと思う(これ分かる人、おともだち)。
見所を挙げればきりがないくらい、各々の場面に凝縮された多彩
な動きとイメージが洪水のように押し寄せるのはやはり金森穣の力
量を示すものだ。圧巻は、クライマックスの井関佐和子。ストラヴ
ィンスキー「春の祭典」に乗り、生贄として陶酔の中で血にまみれ
ていく姿は鬼気迫るものがある。このひとの踊りを観ることの幸せ
をしみじみ感じる。またダンサーとして戻ってきてくれることを信
じよう。
アフタートークでも語られていたが、客と近い空間で様々なサー
ヴィス的演出も多く、小劇場やテント芝居のような猥雑な楽しさが
あるし、それはイメージされていたものでもある。我々は手拍子を
したくなったり、笑い転げたり、涙したり、掛け声を出したり、と
いうテント芝居の客のように振る舞いたい衝動を覚えるだろう。エ
ピローグの曲(うおぉーいかすぅ!)の中で去って行くダンサーたち
に、テントでのようにやんやの喝采で何度でも戻ってきてほしい。
しかし、諸般の事情であろう、カーテンコールはない。そこがテン
ト芝居とは違うところだ。この猥雑さと高尚さの同居する独特の面
白さ。2度観たが、もっと観たいものだわさ、っておばさんぽいか
しら(笑)。
[298] リデル 2008/05/31(土) 22:17 [削除]
[公演名] もしも [劇団名] チャレンジ演劇集団あおえんどう
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(5月31日の日記)
[257] オトアン 2008/04/17(木) 14:57 [削除]
[公演名] 「蝶と餅」 中央ヤマモダン第12回公演 [劇団名] 中
央ヤマモダン
独特のキャラクタで、その姿だけでもインパクトのあるメンバ
ーの中で、江尻晴夏は比較的目立たない、お嬢さん的な感じを当初
持っていたけれど、このところ各方面でクリエイティヴさを発揮し
ており、それが自信にも繋がっているのだろうか、作者として名が
多くあがっているし、舞台での姿が堂々として輝いて見える。これ
はラヴの面にも関係があるに相違ない、と勝手な想像をしたりして
(すんまそん)。
原範和は、二枚目の線もできるが常識人を装った非常識人ができ
る上手さがある。山本康司や小田島美穂子は、お笑い的には恵まれ
たルックスで、しかもそれを上手く使ってキャラクタを作り上げて
いるので、存在がそのまま面白いという強みがある。一方で、それ
を超えて何か新しいものを創ることについては逆にそれが妨げにな
ることもあるだろう。何度か見ているうちに、それ以上のものを客
が求めだしたら、いかに答えていくかだ。
ワタミチの奥壁二面に、障子戸がはめ殺しで仕立てられ、「舞台」
的ながら、構造的にほとんど意味ないだろうという予想通り、特に
あってもなくてもよいのだが、そのばかばかしさがヤマモダン的だ
し、蝶と餅(雲かと思ったよ)のモチーフが配されていてきれいだ。
オープニング映像は天井映写で少し見づらいが、某民放の○ギッコ
(チームエコ)CMを再現した力作。こういう知ってるからこそ笑え
るネタが多いのは、地元ならではなのだが、終わりできちんと?元
映像を見せたりというサービスは面白かった。sixtynine2008では、
映画「sixtynine」で安藤・妻夫木がやった九州男を使っており、恐
らくその絡みでラストの鼻綿男で原が映画「バトルロワイヤル」の
安藤をパロっていることもまた、予備知識があればこそのネタ。自
分たちが面白いと思うことと客層の擦り合わせは、考え始めると面
倒だが、今のところ投げっ放しのようでちょちょっとフォローを入
れているのが彼ららしい。この他「松たか子」と「松本幸四郎」「バ
ンテリン」の連想、PCネタなど、いくつかの隠しテーマが時々顔
を出す作りも面白い。長めのシュールなネタ「連鎖」は、いろいろ
なことを考えさせる(意味ありげな)ところが興味深かった。これも
PCオンチなオヤジが邪魔にならないようプロジェクトを進めると
いう黒幕のママが目指すところが、オープニング映像につながると
いうあたり上手いなと思う。
全体に、落ちをあえて強調しないところがヤマモダンらしかった。
アットホームな中、楽しくほっこり過ごせたという点は評価したい。
さて、これから「さなぎ」が化ける予定(意志)はあるのかな?期待
しよう。
[256] オトアン 2008/04/17(木) 14:56 [削除]
[公演名] ニーチェと僕らの8月25日チックな・・・ [劇団名]
猫の人権会議Official−Unit 『肉球パンチ!』
町屋を利用した画廊fullmoonの室内は、独特の雰囲気を持って
いる。上手くはまれば大きな効果をあげる舞台となる。今回につい
て言えば、冒頭のサトウ君(でかい!)登場シーンから、コンビニで
の情景、そしてサトウの部屋と、設定にとって必ずしも不可欠な場
であったわけではない。しょぼいらしい彼の部屋についてはまあア
リとは思うけれど、あえてこの場所でなくてもよかった。つまり、
西堀DOMOのようなニュートラルな空間が合っているという点で
黎明期的な芝居。ただ『肉球パンチ!』のキャストの若さが、黎明期
とは違っていて、やはり別ユニットだと感じる。
妙なこだわりを指針として市井の中ひっそり生きている青年。現
実逃避のわかりやすいツールとしてTVゲーム(死語?)に向かう姿、
マニュアル通り接客する姿とのギャップは的確な現代青年のある面
を活写している。万引きと勘違いして、というよりは罠にはまって、
奇矯な(カラフルな)女の子に弱みを握られ、部屋に居座られてしま
う。せっせと食料その他を調達する生活の中で、ペットを探すポス
ターをコピーに来たどこかの「お嬢さん」に憧れの感情を抱くのだ
が、居候の女に焚き付けられ、なぜかこのお嬢さんをかどわかす(死
語?)羽目に。しかしお嬢さんもなかなかしたたかで、結構落ち着い
ており、こうして奇妙な3人の共同生活が始まる。誘拐犯という現
実から目をそらそうとする彼をいじる居候女は、学生運動バリバリ
の両親を持ち、どこかぶっとんだ性格。深窓の令嬢にしては肝の据
わったお嬢さんは、男の好意を察知して色仕掛けすら使おうとする。
彼女をそばに置くことで充足している男は、脅迫状すら出しておら
ず、当然お嬢さんの家からのリアクションがない。状況が膠着する
中、三人の関係、そしてお嬢さんがとる行動、それが話の要となっ
て行く。この、夏の終わり(8月25日)らしいそこはかとない倦怠、
苛立ちをともなう茫洋とした感じは、どこかインディーズ映画(AV
でなくね)のそれに似ている。まあ後者の場合、往々にして歯車が狂
って悲劇に向かって転がり落ちたりするのだが。
犯人と被害者の間に生じる感情の交流、いわゆる「フランクフル
ト症候群」については、かねてよりシダジュンの作品に言及があり、
お気に入りのシチュエーションなのだと思うが、男性一人と女性二
人、そこに三角関係的な感情が微妙に絡むところではある。しかし、
ちょっとしたジェラスをお嬢さんに対して持っているのではないか
と推測される居候女は、それを前面に出すことがない。むしろ女性
同士の交感のようなものがあり、情けない男の尻を二人で叩いてい
るようだ。このあまり性的な方向へなだれ込まないちょっとストイ
ックな感じ、シダジュンならではだし、キャストの個性もあって爽
やかだ。掘り下げれば複雑で微妙な感情が渦巻いているはずだし、
それをほのかに匂わせる巧みさをポーカーフェイスに包む高橋景子
をはじめとする第二黎明期の役者に比べると、その深みに欠けると
ころは仕方のないことだろうが、ちょっとはらはらするところもあ
るそのキャストの熟していない部分も含め、自分は好感を覚えた。
三人が三人とも、特に成長するわけでもなく、先の見えぬままあっ
けらかんと終幕を迎えるのだが、この束の間のハッピーな時間と空
間は、はかないからこそいとおしい。「明日に向かって撃て」など、
青春映画にはこういう時間があったことを懐かしく思い出す。
[255] オトアン 2008/04/17(木) 14:50 [削除]
[公演名] エレベーターの鍵 [劇団名] 安達修子 ひとり芝居
安達修子。美しい。改めて見ると、いわゆる今のトレンディな
美人顔ではない。むしろ、昭和の大女優のようなしっかりした顔立
ち。穏やかで謙虚な彼女が、舞台上で放つ光に目を奪われる。舞台
に立つことがこのひとの定めなのだろう。
砂丘館のレトロモダンな佇まい、夕闇迫る蔵の格子窓から垣間見
える狭い空を背景に、仕込まれた間接的な伊藤裕一の手練の照明、
そして壁に映し出されるクレイアニメ的な不吉な映像。靴音ととも
に階段を上り、車椅子に座るオープニングから、すでにこの独特な
世界に引き込まれる感覚。
車椅子の女が寓話のように語る、待ち続けた王女の話は、ファン
タジックだが暗く、彼女の置かれた境遇を暗示する。エレベーター
のみで外界=下界と繋がる塔の中に、保護=軟禁されている女。建
築家である夫の厚い庇護=監視のもと、永い時を過ごさなければな
らない彼女は、森の番人から花をもらったことから、エレベーター
の鍵を取り上げられ、さらに夫の友人である医師から各種の「手術」
を受けることで、次第に身体の機能を奪われていく。諦めにも似た
無気力に落ちる中、聴力、視力、そして声が奪われそうになったと
き、追い詰められた女の行動が悲劇を呼ぶ。
あくまでも女を気遣う、愛情のゆえの行為として行われる夫の「暴
力」は、見方によっては女の妄想の産物にも受け取れるが、愛とい
う名のもとに、あるいはその自覚に基づいて行われる暴力的行為の
冷酷さは、現代の状況に通じるものがある。そういった社会性も持
つ戯曲ではあるが、それ以上に受身である女性の哀しさと、同時に
怖さのようなものを安達は体現している。例によって、歌舞伎の「に
らみ」とは多少異質ではあるが、狂気(マニア)をともなう寄り目が
独特の空気を生み出している。とっぷり暮れた街に出て、身震いが
出たのは寒さゆえだけだろうか?
さて、そろそろ五十嵐劇場が動きを見せるという。嬉しいことだ。
無理せずやりたいことをやってほしい。素晴らしい面々なのだから。
[254] うっさ 2008/04/16(水) 23:50 [削除]
[公演名] ラストエンペラー [劇団名] エンペラーズ
新潟大学 斎藤陽一研究室・芸能時評にエンペラーズ公演アップ
です。
http://www.human.niigata-u.ac.jp/~y.saito/writing/emperors.ht
ml
[218] JERO(偽) 2008/03/11(火) 10:08 [削除]
[公演名] 「リトルプリンス」 「ハムレット」 [劇団名] 音
楽座、KURITAカンパニー
新潟大学斎藤陽一研究室 芸能時評にUPです!
芸能時評No190「新潟でミュージカル二つ 音楽座とKURITA
カンパニー」
http://www.human.niigata-u.ac.jp/~y.saito/writing/musicalzanm
ai.html
[214] オトアン 2008/03/05(水) 16:07 [削除]
[公演名] ミュージカル ハムレット [劇団名] りゅーとぴあ10
周年記念ミュージカル プレ企画 KURITAカンパニー
KURITAカンパニー「ミュージカル ハムレット」は、スタジ
オから劇場へというキャパの拡大にも関わらず、1000円という破格
(りゅーとぴあだからこそだが)の自由席ということもあって、開場
数十分前からもう行列で、最終的に2階席まで埋まっていた。客層
は様々だけれど、まずはこれだけ人が集まるということを喜びたい。
財政的な補助があれば「文化」的事業は「振興」することは自明だ
が、掛け声ばかりでなかなか行政側が動いてくれない中、よくやっ
ていると思うし、それだけの中身が伴っているとも言える。
前回の「ハムレット」での新鮮な演出が評判だった後で、2002
年初演というミュージカル仕立てでの企画。三大悲劇として内容自
体よく知られていることもあり、新奇な演出でかつ原作の言い回し
をそのまま使っても観客(ワタシ)がついていけたと思う。シェーク
スピアの、1で済むことを10の言葉を用いて語る饒舌なテクスト
を、しかし改めて面白くまたリアルに感じられることは、このカン
パニーの功績だろう。
ネタバレ。幕開き、上手奥から薄汚れたコート・帽子に(暗黒舞踏
か、ジョニデのスウィーニートッドばりの)白塗りメイクの一団がゆ
っくり登場し、持参したトランク(よく見るとカリグラフで恐らく役
名、ローゼンクランツ、ギルデンスターンなどが書いてあるくすぐ
り)を置いて開け、客席に向かって三方を四角く囲んで方形の空間を
作る。ちょうど能舞台のように。そこから随時登場人物として出入
りする。栗田氏の言葉によれば、これは「黄泉の国から来た旅一座」
という形で、劇中に登場する一座と多層構造を成している。死びと
の芝居ということを考えると成る程と思う点がままあり、演じるこ
とが生きることと置換可能であるということを考えさせられる。白
地に隈の禍々しい相貌と、衣装の汚れ具合は実にいい感じで、抱擁
したり激しく動くと白い粉(ベビー?タルカム?パウダー)が舞い上
がるのも面白い。ミュージカルということで、悲劇とどのようにマ
ッチするのかと思ったが、要所での独唱、そして散りばめられた群
唱それぞれ、芝居の流れの中で自然に組み込まれており、特に劇中
劇の形が巧く使われていてミュージカルにさほど思い入れのない自
分にも違和感がなかった。宮川彬の、部分的には下世話ですらある、
時に日本的情緒に満ちたメロディは、岡本おさみの練られた言葉を
そのまま生かし、役者の鍛えられた声が効果を増幅させている。歌
唱は(粉の飛散に負けず)見事だった。音響上の効果(エコーなど)の
ためもあるのだろうが、ヘッドマイクなど必要ないくらいだと思っ
た。
ハムレットの青白い苦悩は河内大和によって十分に演じられてはい
たが、それ以上に目を引いたのが、悪行ゆえの苦悩を背負ったクロ
ーディアス・栗田氏の圧倒的な存在感と凄まじい独唱。もはや主役
といってもよいほどであり、新鮮だった。祈ることすら赦されない、
この罪の観念は西洋ならではだが、それが普遍的な人間の悲劇へと
広げられている。また大向こうの感情を最もさらっていたのは、無
垢であるがゆえに深く傷つき絶望するオフィーリア・横山道子の可
憐な哀しさだろう。山賀晴代を筆頭に、他の女性メンバーも各キャ
ストに入換可能な充実振り。今回、オフィーリアの最期も、クライ
マックスでのハムレットとレアティーズの立回りも、具体的な演技
ではなく象徴的な提示の仕方で、これもまた栗田演出の巧さだと思
う。こうして、表層を剥ぎ取った悲劇の本質が示されていく。
シェークスピア作品には、ギリシア悲劇以来の先行する古典的作
品が土台となっていて観客も同様の教養を持っていることが前提と
されていることを感じる。17世紀、日本ならば江戸時代、ちょうど
歌舞伎にも同じことが言える。リアルさをものともしない過剰な修
飾に満ちた言葉、台詞に盛られた詩心、諧謔を伴い観客の反応を見
越して入れられる同時代的ネタ、様々な共通性があるだろう。かつ
ての観劇者がコモンセンスとして持っていた知識を、現在どれだけ
の観客が持ち得ているかと考えると自ら反省させられる。単なる知
識を増やせばいいというのではなく、演劇を楽しむためにはもっと
もっといろんな演劇を見るといい、ということだろう。芝居を終え、
また彼岸へと去って行く旅の一座。闇から現れ、闇に消える(妖怪人
間か!)そのつかの間、光に照らされて演じる一時の夢。
[202] オトアン 2008/02/26(火) 17:17 [削除]
[公演名] 貝の火 [劇団名] ゆでたまごの会 A
井上ほーりんがやりたいこと、あるいは好む傾向については、
新津演劇研究会の頃からの流れを散見しつつ何となく自分なりに感
じるものがあって、よき時代のアングラ的要素へのオマージュを伴
いながらも、あくまでも日常の視点の中で瞬時に反転する非日常、
虚と実のあわい、そのケレンがひとつの持ち味であるように思う。
田中みゆきの資質はまた少し異なるけれど、吸って来た空気には共
通の部分もあって、つか的にドラマティックなクライマックスは彼
女の十八番だろう。演劇という型をいかに遊ぶか、PLAYし戯れる
か、という貪欲さには共感する。「メソッド」ではなく「姿勢」を持
つ人々だと思う。一方で理念や思想が先行し、演劇団体としての「肉
体」がそれに拮抗していかないはがゆさも感じる。
ネタバレ。集客についての見通しもあってか、リリックホールシ
アター舞台上に平台で作られた舞台空間。中割りをせめて出入りを
隠した黒い背景。客入れでNHK教育TVの音声が使われ、それも
あって能舞台的にも見えるいい感じの空間設定。だが、中央奥にク
ライマックスで使うのであろう目隠しのライトが堂々と見える。そ
して、「缶詰」になる部屋としては少々広すぎる(間口2間もいらな
いくらいだ)。中央のコタツが小さい分余計に。下手側の段ボールも、
いかにも人が入っていそう。井上しょうた君の口上は立派で、将来
楽しみだが、彼に与えられた「台詞」に少しあざとさを感じた捻く
れ者ワタクシ。
暗転の中、編集者と話しているらしい女性(田中みゆき)の声で始
まり、和服(?)姿で新人作家(志望)らしい女性が、24時間施錠した
部屋に缶詰されて一本のサスペンス小説を仕上げるという奇妙な選
考に挑むということがかなり説明的に語られる。なかなか筆が進ま
ずカップラーメンを食べたりしながら、部屋の中にある段ボールに
気がつき、開けると手足を縛られ目隠し猿ぐつわの男(羽二生大輔)
が転がり出る。置かれた状況についてのやり取りが続き、小説を仕
上げることしか念頭にないエキセントリックな女性と、少し気弱で
情けない男性(真っ直ぐな羽二生氏の味が生かされている)の密室シ
チュエーションでの芝居かと思わせて、次第に見えてくるのは、こ
の2人がもともと知った同士であり、そもそもこの状況が作り物で
あるということ。最終的に明かされるのは、他の女性に心を移した
男を「始末」するために女が仕掛けた罠だということであり、薬を
盛って眠らせた男を浮気した女の相手に渡す女の情念が描かれる。
つまり、編集者との会話も実際は(観客が見る通り)女の独り芝居で
あり、段ボールに最初気づかないのも芝居の嘘というよりそういう
演技なのであり、初対面のように会話する女と男も芝居をしていた
のであり、虚構の中で虚構が重ねられていたということなのだ。別
役作品などで、次々に「どんでん返し」され足元が揺れ動くような
感覚を覚える芝居も確かにある。ただ、その場合ひっくり返された
後に見えてくる物語が、先のものよりも意外性・ドラマ性において
上位で、観ている者はそれに巻き込まれてつい納得させられてしま
うという展開があってこそ成り立つのであって、今回の芝居に関し
て言えば、そういうカタルシスが足りない。強い言葉を使えば、よ
り陳腐な展開に堕してしまうので、はぐらかされた感覚を持ってし
まった。クライマックスで倒れた男を見下ろしながら衣を解き、髪
をほどき、光を背景に浮かぶ女のシルエットは美しく、田中みゆき
ならではなのだが、芝居の手触りがそれまでの流れとそこでは違う。
意表をつく展開は勿論あっていいし、制約などないのだけれど、わ
りとチープな(失礼)結末に持って行くのに比してドラマティックさ
が過剰。逆に言えば、あのラストに相応しい展開の仕方があると思
う。こういう世界が結構好きなだけに、いろいろと思うところが出
て来る。勝手な感想だけれど、書かせていただいた。
[201] オトアン 2008/02/26(火) 17:14 [削除]
[公演名] カレーとイチロー [劇団名] 劇団わるだくみ
今までシアターゴーイングを観てきた自分にとって、参加団体
の数や公演規模が縮小されてきた流れは寂しく、また今回2人芝居
という企画もわからないではないがやはりそれだけでは物足りなく
感じる。諸般の事情はあろうけれど。しかしその思いは傍観者より
もむしろ当事者である運営スタッフ、参加団体の方々こそ強いだろ
う。その中でこの寒い時期に犠牲を払い奔走している皆さんの努力
は尊いしぜひ実ってほしい。実は今回行けないはずだった。でも何
だかんだでこの日観ることができ、よかったと思う。
わるだくみは名前の通り、自分たちなりにひねった作品を当初か
ら作って来ていて、その「若さ」は貴重なものだと思っている。一方
で団員も歳を重ね、社会人として担うものも増え、時間もない中で
よく続けていると思う。まだまだ可能性のある団体だと思う。2人
芝居で1人は客演という形態ながら、山田氏はこの集団とのつき合
いも長く、馴染んでいてわるだくみの芝居として成立している。で
も。これ「本公演」と冠されることに一抹の寂しさを勝手に覚える
よワシは。考え違いをしているかもしれないけれど。
2003年3月という近過去。ストレスを、美食に散財することで解
消することが病みつきになり130万円というビミョーな額の借金と
利子に追われる独り暮らしの女性派遣社員・中森沙耶(山田亜矢子)。
正社員の男性といい雰囲気になりかけ手料理を振舞うと家に招いて、
朝から休んで仕度中。機械音痴な母親の電話に振り回されていると
ころ、取り立ての金融社員・斉藤滋(山田好宏)が上がり込む。多重債
務の危険をとくとくと諭しながら、急に取り立ててきた200万を出
して「一緒に逃げよう」と言う斉藤は、同棲していた彼女が自分の部
屋で部長と不倫しているのを目撃、しかし何も言えず変わらない日
常を送る自分をはじめ何もかもいやになって人生をリセットしよう
とする。なぜ自分と、と戸惑う中森に、一緒に飲んだ折にこの部屋
に泊まって…という中森が覚えていない事実を告げる斉藤。愕然と
した中森は、男のために作っていた肉じゃがにソースが投入されて
しまったモノをカレーとして作り直し、斉藤と逃亡することを承知
する。が、「カレー小僧」斉藤が自信のカレーを作る間に、「男とイ
チローの試合を見に行くことを区切りに気持ちを整理し借金を返
す」という決意を思い出した中森は、やはり行けないと告げる。
母親の電話、宅急便、TV、男からの電話など「外部」がちょこ
ちょこといいタイミングで首を突っ込む他は2人のやり取りを中心
に進む。山田(亜)女史は、ヴェテランらしい全力投球で、隙がない。
ダメだけど必死に生きている中森の、年齢や職場環境や異性関係な
どの背景をよく考え、描き得ていた。ただ、私的には中森ってもっ
と隙がありありでいいと思う。女史がしっかりしているので、不用
意に男を泊めたり、上がらせたりするような女に見えない。ダメ〜
な彼女の中に最後きらっと光る前向きなところが見える程度でいい
のではないか。山田(好)氏は、ちょうど本人の得意とする?キャラ
に合ったようで、役にはまっている。そして、以前に比べて安定感
というか舞台上での存在感が増している。斉藤という人物にリアリ
ティがある。見終わって、不思議と爽やかな感じが残るのがいい。
セットについて(あえて)。今回に限らず、アパートの部屋として
はもっと狭めていい。客席に対し台形に開いている形はよく見るが、
リアルではない。ある程度作り込むタイプのセットなのだから、む
しろ(TVの処理のように)客席から死角があっていい(ただTVのと
ころには実物でなくてもあかりが入るとサスで誤魔化す必要がな
い)。入口とベランダを両方見せなくてもいい。舞台と部屋が平行で
なくていい。PCを使う場面がないなら無理にDVDプレーヤー(です
よね)をそれっぽく見せることもない。カレー臭のないカレー、頑張
ったと思うけど、むしろカレーの香りを使えばいいのでは?そうい
う芝居ありでしょ。ゆでたまごの会Aでカレーヌードルいい匂ひだ
ったし。それから、各種ハプニングを演技の中で処理している2人
は流石だと思った。
[189] オトアン 2008/02/15(金) 22:36 [削除]
[公演名] グリックの冒険 [劇団名] APRICOT
幼い頃の自分にとって1時間がどれくらい長かったかというこ
とを考えれば、大分テキストレジュウムされてはいても今回の休憩
なし100分+αという上演時間が見る子どもたちにどれほどのもの
かは推して知るべし、なのだが、これは作品にとって必要な時間で
あると感じた。家で飼われていたグリックというどこか能天気とい
うかいい意味でポジティブなシマリスが、ルーツである北の森を目
指してさまざまな冒険を重ねる中で成長していく一種のビルドゥン
グスロマンであるが、斎藤惇夫氏のもう一つの代表作でもあるガン
バたちのそれがクライマックスにノロイとの決戦というヤマ場を迎
えるのに対し、グリックの「戦い」はむしろ前半のネズミたちとの
戦い以降は、長く遠い旅路を耐えて行く、内面的な部分が大きい。
この苦しさを忍ぶ旅路について感じるために、休憩なしは有効な時
間設定だと思う。10分単位でCMのサイクルに慣れ、堪え性がない
ように思う今どきの子どもたちが、しかしじっと見入っていたのは
印象的だ。台詞も内容も、決していわゆるお子様向きではない。む
しろ難しい部分をちゃんと省かずにぶつけている。ぬいぐるみミュ
ージカルなどのように(全部がそうだとは言わないが)子ども向けと
称してレベルを落としているものに比べずっと高度なことをやって
いる、しかもそれが十代以下のパフォーマーたちだという事実は、
改めて大変なことだ。さらに言えば、ああこんな小さな子らがよく
やってるからそれだけで…というレベルで留まっているのではなく、
形だけなぞるのでないしっかり「プロ」的に中身のあるパフォーマン
スを要求し、それに応えようとしていることが見える。
野瀬珠美氏の楽曲は素晴らしかった。原作のテイストを生かしな
がら、語るためだけの歌でなく、メロディと和声が美しく完成され
ている。ソロの歌唱、子どもたちのハーモニーにぞくぞくした。さ
まざまな場面をスピーディに展開させる、移動式の黒いパネル。都
会の交通や下水や家や木々や岩や舟などなどを説得力をもって見せ
る演出の巧みさは勿論だが、合わせて印象に残るのは、ほとんどバ
ミリもないのに緻密な動きをしっかり把握して行っているパフォー
マーたちの素晴らしさだ。モブシーンでは、ネズミたち、またリス
たちを演じ分けるのだが、ことさらにエキセントリックな無理した
キャラ作りをしなくても、それぞれが自分なりのネズミやリスにな
って、舞台上で生きている、あるいはそうしようとしている。それ
ゆえ異なった場面で展開される集団シーンに見応えがある(ネズミ
たち、動物園のリス、森のリスで細かい違いを出すというのは難し
いだろう。ただそれが出来ている人もいる)。APRICOTには、子ど
ものお遊戯会的なものを見るような(捻くれた自分だけかもしれな
いが)、いやな感じを受けることがない。ガンバの小柴君はつぶらな
瞳で凛々しい。グリックの角張さんの輝きに目が惹きつけられる。
突出するわけではなく、きらめきを見せるパフォーマーたちがうま
く配置され、みんなで作る芝居となっている。多分子どもたちや親
御さんたちそれぞれにぐっとくるポイントがあるだろうし、自分は
人とずれているとは思うけれど、回想として出てくるフラックの台
詞や、君には君の戦いがあるというガンバの台詞、絶壁の向こうに
また絶壁があったら、というのんのんの台詞など、ところどころで
ぐぐっときて目頭が熱くなるのだった。原作はあの挿絵と相まって、
動物の世界のリアルさを感じたが、APRICOTバージョンでは様式
化された動きもあって、ネズミやリスのリアルよりむしろ、これは
私たち自身のドラマであり、「冒険」することを恐れず、現状に沈殿
せず、道を切り拓いて行くべきだということを考えさせてくれる。
初日ということもあり、100%の出来であったとは思わない。こ
れからまだよくなるのだろう。でもとりあえず体験することができ
て自分は幸せだ。ありがとう。
[184] JERO(偽) 2008/02/12(火) 14:48 [削除]
[公演名] わが闇 満開の案山子がなる
お待ちかね
新潟大学齋藤陽一研究室 芸能時評にUP!
No.187 NYLON100℃ 「わが闇」
No.188 劇団ぷちがけっ旗揚げ公演 「満開の案山子がなる」
http://www.human.niigata-u.ac.jp/~y.saito/writing/Nylon31st.ht
ml
http://www.human.niigata-u.ac.jp/~y.saito/writing/scarecrow.ht
ml
[175] オトアン 2008/02/06(水) 16:55 [削除]
[公演名] わが闇 [劇団名] NYLON100℃
>174 [公演名] ×waga ○わが闇
ずびばぜん(涙)
[174] オトアン 2008/02/06(水) 16:54 [削除]
[公演名] waga [劇団名] NYLON100℃
2008年初の芝居体験がNYLON100℃の新作。実は昨年末、東京
で劇団、本谷有希子・『偏路』とシベリア少女鉄道・『俺たちに他意
はない』とブッキング、迷ったが新潟に賭けて『わが闇』を切った
のだった。
各地を巡って熟成されてきたはずの『わが闇』、ケラが前もって語っ
ていた構想とは少々違っており、特殊な設定のない現実的でストレ
ートな家族ドラマで、それでいてNYLONでしかあり得ない、成し
得ない、素晴らしい舞台だった。ナンセンス芝居も、こういう芝居
もケラの世界の一部であり、重い話にも笑いがあり、おばかな展開
の中にも真実がある。
セットは田舎の古い家屋で、ずっと転換なし。しかし映像効果と相
まって、実によく出来ている。「木と紙で出来ている」と外国人にい
われる日本家屋の陰影、冥さは、家族の「悲劇」の背景として常に
存在し、その中で展開される家族の愛憎、心理的な闇との相乗効果
をもたらしている。心の闇を投影するように、広がり家を覆って行
く黒い染みやノイズのような線の映像。回想の中でリフレインされ
る戸の開けたての映像。終盤で、失明を目前にした立子の心理的な
動揺を示すように、実際に斜めに歪む舞台。見事だ。
かつての家族の姿を三姉妹が回想するオープニングから、過去の時
間の流れにすっと現在の彼女たちが入って行くスムーズさ。年齢を
外見でなく演技で超えていく見事さ。狂言回しとして意味有り気に
登場する岡田義徳の語りを交え、タイトルまでにかなりの時間をか
けて描かれる過去。シリアスな小説家、柏木伸彦と妻の基子、長女
立子、次女艶子、三女類子、押しかけ書生の三好未完がこの家に引
っ越して来た31年前。この家の暗さに精神のバランスを崩し始め
る基子。妻を気遣いながらも次第に苛立ちを募らせる伸彦、怯える
娘たち。そんな中、長女立子が十歳にして小説家デビューする。内
容は家族の内情をモチーフにしたもので、立子自身が精神の均衡を
保つためにも必要だったのだろう。しかし、家族をネタにすること
の罪悪感は彼女の中に闇を作る。幼い頃から醒めた大人の目を持つ
こと自体彼女の不幸。立子の才能を認めながらも喜べない伸彦は、
従順で温和な艶子に愛情を注ぐ。敬愛する父親との心理的齟齬もま
た彼女を孤立させる。別居して通院しながらも家族に戻ろうとする
基子は艶子より類子に愛情を見せるのだが、作風を変えてナンセン
スな笑いの研究者となった伸彦は若い志田潤に心を移し、離婚を切
り出す。逆上し、持ち出した刃物で自ら命を絶つ基子。この長いプ
ロローグ?から本編に入るが、もうやられちゃっている。その後の
話は字幕と会話の中で明かされていく。再婚した伸彦と潤だが、十
数年後に潤は男と駆け落ち。失意の伸彦は衰えやがて寝付く(もはや
登場しない)。作家として成功した立子だが、かつての勢いは失われ
つつあり、連載も打切りとなる。立子に思いを寄せる編集者、皆藤
竜一郎はしばしばこの家を訪れ、そのことを告げるのに逡巡する。
艶子は守口寅夫と結婚し古本屋を営むが、寅夫の失火で店と子供を
失い実家に夫婦で居候。郵便局に勤める寅夫は大きな態度、遺産に
も目を配る。類子は女優として活躍するが、不倫問題から番組をす
っぽかし失踪、実家に来る。そして伸彦のドキュメント映画を撮ろ
うと訪れる滝本悟と助手で後輩の大鍋あたる。滝本は出資者である
(立子の同級生で基子にそっくりの)飛石花にヒモとして養われても
いる。大鍋は女の子に惚れては振られている。さらに少し奇矯な皆
藤の妹の登場など。これらが2007年のシーンを構成する。皆が何
らかの闇を抱えている。これをべたべたに暗く描くのでなく、軽く
コミカルにだからこそリアルに、細かい設定に相応しい微妙な心理
の綾を描写するのがケラの真骨頂であり、それに役者が応え得てい
る。
わが闇とは、立子にとって迫る盲目であるだけでなく、心の中のど
ろどろしたものであり、「我が家(house、またhome)」であって、
それは他の登場人物にもいえることであり、また私自身のうちにあ
るものでもある。どんな人の深奥にも暗い無限の闇がある。それが
噴出して行く中、救いようのないヘヴィな話になるかと思いきや。
意外にもきれいに、希望すら滲ませるラストに持って行く。裏切り
名人ケラらしいかな。いくらでも泥沼になり得る要素が散りばめら
れているのだがこんなにすっきりさせていいのか?賛否あろうが自
分はアリだなと思った。TVで見るより、岡田義徳も坂井真紀も生
がずっといい。坂井の脱ぎっぷりもよい。長谷川朝晴も含めた客演
陣をしっかり受け止めて一体感ある舞台を作り上げていた。現在の
NYLONでしかできない舞台。大千秋楽にここで立ち会えたことは
幸甚である。
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